■S:今日の聖書の言葉
レビ記25章29~30節
★人がもし城壁のある町の中の住宅を売るときは、それを売ってから満一年の間は、買い戻す権利がある。買い戻しはこの期間に限る。もし満一年たつまでに買い戻されないなら、城壁のある町の中のその家は買い戻しの権利の喪失により、代々にわたり、それを買い取った人のものとなって、ヨベルの年にも手を離れない。
■O:今日のコラム
城壁のある町の住宅に関する規定です。聖書は、城壁のある町と城壁のない町とを区別します。
なぜならば城壁のある町とは、キリストの花嫁を指しているのです。花嫁なる大王の都、エルサレムは城壁のある町です。またそれは雅歌の8章にも出てきます。雅歌はキリストの花嫁の啓示があふれている書簡です。その中で最後の8章は完成の領域を表しています。そこにこうあります。
「私は城壁、私の乳房はやぐらのよう。それで、私はあの方の目には平安をもたらす者のようになりました。」(雅歌8:10)
同じように花嫁の啓示の満ち溢れているエステル記でも、最後の部分で、城壁のある町と無い町は区別されています。繰り返しますが、城壁のある町は、キリストの花嫁である教会を指しているのです。
そしてその中の住宅とは、私たちのことなのです。私たちは、神の建物です。その住宅は、売ってしまうなら、一年で買い戻せなくなってしまうのです。他の土地などは、売ってもヨベルの年に必ず返されるのに、この城壁のある町の住宅は、ヨベルの年にも戻ってきません。
私たちは、花嫁の心、主を愛する心を世に売ってはなりません。神を愛することは第一の戒めなのです。
様々な例が挙げられますが、たとえるなら、礼拝を自分が人から栄誉や称賛を受けるために使ってはなりません。ミニストリーもです。有名になるためにそれを使ってはいけません。それは神を愛する心を世に売るに等しい行為です。しかし、その誘惑をすべての奉仕者が体験するはずです。もし売ってしまうなら、直ちに悔い改めることです。取り戻せなくなることがないように。
私たちは、世の終わりのしるし、予兆、そのようなメッセージが強まってきたら花嫁の心にフォーカスしたら良い、と考えてしまいます。しかしそんな都合よくはいかないのです。神を愛する心を世の物に取り換えないことです。そして、この御言葉からも主こそ、その愛の心を大切にして欲しいと願っていることを知るのです。
■A:考えてみよう
「キリストには代えられません」という賛美もありますが、神を愛する心をぞんざいに扱うことは、キリストをそんざいに扱うことです。むしろ私たちには「もっと神を愛する者とならせてくだい」という祈りこそふさわしいです。
■P:祈り
キリストには 代えられません
世の宝も また富も
このお方が 私に 代わって死んだゆえです
世の楽しみよ 去れ 世の誉れよ ゆけ
キリストには代えられません 世の何ものも
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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