■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き20章16節

★それはパウロが、アジヤで時間を取られないようにと、エペソには寄港しないで行くことに決めていたからである。彼は、できれば五旬節の日にはエルサレムに着いていたい、と旅路を急いでいたのである。

■O:今日のコラム
シャローム、今日も皆様に主の平安と恵みが豊かにありますように。

使徒パウロの宣教旅行の足跡をたどると、その旅は自分の思い通りに行くものではなく、多方面からの圧迫と苦難がつきまとう旅でした。(第2コリント11:24~26)

明日の我が身がどうなるかわからない状況でしたが、第3回目となる伝道旅行の中で使徒パウロは心に決めていたことがありました。「五旬節までにはエルサレムへ到着する」ことです。

当時、神殿がまだエルサレムにあった頃、ユダヤの民はイスラエル以外に離散していても、三大祭り(過越・七週・仮庵)の時には神殿でいけにえをささげるため、できる限りエルサレムに上ってくることを習慣としていたため(使徒2:1、9~11節参照)、パウロ自身も、ピリピでの過越を祝った後(使徒20:6)、そこから五旬節までの約50日の間に、エルサレムへの帰途(陸路と海路を合わせて約1,700km)を急ぐこととなりました。

アジヤ地方の主要都市エペソで出来るはずだった使徒としての働きを彼は一旦脇におき、エルサレムに向かうことを優先したようです。行く先々で力ある働きの実を結ぶこともできたはずですが、毎年やってくる祭のサイクルを通してあえて原点に帰ることを実践していた初代教会の信仰の歩みをパウロに見ます。そして、エルサレムで彼を待ち受けている苦しみを知ってなお、その決心は揺るがされることはありませんでした。

私たちが歩むこの時期も、今日の箇所と同じように、過越の祭りを終え五旬節を迎えようとしている時期です。

実際に私たちが五旬節に地上のエルサレムに行くかどうかということが今日の焦点となるのではありませんが(無論それも素晴らしいですね)、神様の定めた祭りの期間に沿って、この時期に到達を目指すべき場所が私たちにもあることを学びます。

それは、私たちの心の中にあるエルサレムです。即ち、すべての原点、始まり、中心である神様へと立ち返ることです。

日毎に私たちのやるべきことはたくさんありますし、自分の力でやろうと思えば出来ることも案外多くあるでしょう。しかし、あえて原点に帰ることを選択する歩みを通して、私たちの信仰は働きの結果や獲得したもの、自分の力、状態、感覚に左右されない主ご自身に根付くものとなっていくのではないでしょうか。

様々な忙しさの中にあっても、日々全ての源、始めであり終わりであるお方のみことばに聞く時間を持っていきましょう。信仰の原点であるみことばを朗読し、まず自分自身に宣べ伝えることを通して、神様が共に住まわれる麗しい都エルサレムが私たちの内なる人に形造られていきますように。

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)

■A:考えてみよう
・使徒パウロは町々で、何を宣べ伝えましたか。(使徒20:21)
・旅路においても、エルサレムにおいてもパウロは数々の試練と苦しみを経験しましたが、彼の心構えから学ぶことは何ですか。(使徒20:24)
・私たちが心のエルサレムへ何としてでも帰ることとはどういうことでしょうか。

五旬節までのこの期間を、心の有り様や神様に対する態度、本当に優先すべきことは何かをみことばにより吟味し、全ての中心である神様に立ち返り、聖霊を待ち望む時として豊かに恵みが注がれるよう祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ぺい 】

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