■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き19章1~6節
★アポロがコリントにいた間に、パウロは奥地を通ってエペソに来た。そして幾人かの弟子に出会って、「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは、「いいえ、聖霊の与えられることは、聞きもしませんでした」と答えた。「では、どんなバプテスマを受けたのですか」と言うと、「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
そこで、パウロは、「ヨハネは、自分のあとに来られるイエスを信じるように人々に告げて、悔い改めのバプテスマを授けたのです」と言った。これを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。パウロが彼らの上に手を置いたとき、聖霊が彼らに臨まれ、彼らは異言を語ったり、預言をしたりした。
■O:今日のコラム
アポロがエペソにいる間に、幾人かが信仰の道に入りました。しかし、使徒18章25節にあるように、アポロはヨハネのバプテスマしか知りませんでした。それは悔い改めのバプテスマです。
パウロがエペソに来るとその信徒たちと会いました。そして「聖霊を受けましたか?」と聞くと、「聞いた事もない」と答えが返ってきました。そして、イエスの御名によってバプテスマを授けました。そしてパウロの按手とともに彼らは、聖霊のバプテスマを受け異言を語り出したのです。ハレルヤ!
バプテスマとは、古い自分に死んで、新しく神に生きる事を告白するものです。悔い改めのバプテスマは、罪に対して死に、新しいいのちを受け取る誓いであり、イエスの御名によるバプテスマは、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、どこまでもイエス様について行き、死と葬りと復活に預かる生き方をする誓いです。
聖霊のバプテスマも、肉に死に、御霊に従って生きるために、主との親密な交わりをもって歩むために、主をもっと知るために主が授けられるものです。自分の賜物や力を誇るためではなく、御霊に酔って気持ちよくなるためでもありません。
多くの場合、按手によって与えられていきます。ぜひまだ受けていない方、この時期は、聖霊のバプテスマを求めるのにふさわしい時期です。主は、そのシーズンごとに特別な恵みを備えておられることを信じます。3月末~4月初頭は過ぎ越しの祭りのシーズンでした。そしてその50日後は、五旬節です。このときに弟子たちは聖霊のバプテスマを受け、異言を語り出しました。
「イエス様を受け入れて、新しい霊、新しいいのちを持っているなら、御霊を受けていて、つまりこれが聖霊のバプテスマだ」という神学もありますが、そうではありません。そのように人々が言い出すことに対する教えが込められてなのか、四福音書の中で一番最後に書かれたと言われるヨハネ福音書にはこうあります。イエス様が復活されて墓に来た女たちに現れたときの御言葉です。
「イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」」(ヨハネ20:17)
この後、五旬節の出来事があるのですが、ここでイエス様は、弟子たちに既に新しいいのちが与えられていることを告白しておられます。このときに既に弟子たちの中には、父によって生まれた新しいいのちが与えられているので、「わたしの父、またあなたがたの父」と言えるのです。
聖霊のバプテスマを求め、祈りましょう!大宣教命令で「父、子、聖霊の御名によって」と訳されていますが、原語であるギリシャ語、また英語(KJV)でもそうですが、「父の御名によって、子によって、聖霊によって」となっています。使徒の働きの中で授けられるバプテスマは「主イエスの御名によって」だけなのです。ぜひ聖霊のバプテスマを求めましょう!
イエス様の生涯を見るなら、水でバプテスマを受けると、すぐに御霊が降ってきました。弟子たちのように、焼き尽くす炎となって舌を捉えなければならなかったのとは違い、平和な鳩の形で来ました。この鳩の出来事は聖霊のバプテスマであると信じます。
イエス様も御霊の力を受けて証人として働いたのです。そのイエス様がこう言われます。聖霊のバプテスマを既に受けられた方、このバプテスマを自分も受ける用意はできていますか?
「しかし、わたしには受けるバプテスマがあります。それが成し遂げられるまでは、どんなに苦しむことでしょう。」(ルカ12:50)
■A:考えてみよう
まだ聖霊のバプテスマを受けていない方、ぜひ断食と祈りをもってこの五旬節の期間求めてみてください。聖霊のバプテスマをすでに受けた方、五旬節までの期間を、死と葬りと復活を信じて、イエス様が苦しみをもって受けられたバプテスマを受け取る心構えをする期間としましょう。
■P:祈り
主よ。いのちをかけて私を愛された偉大な愛を受けとらせてください。信仰と理解と体験とをもってその愛を知ることができるようにしてください。心から真実に「 生きることはキリスト、死ぬことも益です。」と告白させ、主と愛や喜びや平安だけでなく、主が分かち合う苦しみをも受け止める覚悟をさせてください。わたしの願うようにではなく、あなたの御心の通りにしてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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