■S:今日の聖書の言葉
レビ記10章1節
★さて、アロンの子ナダブとアビフは、おのおの自分の火皿を取り、その中に火を入れ、その上に香を盛り、主が彼らに命じなかった異なった火を主の前にささげた。
使徒の働き10章4節
★彼は、御使いを見つめていると、恐ろしくなって、「主よ。何でしょうか」と答えた。すると御使いはこう言った。「あなたの祈りと施しは神の前に立ち上って、覚えられています。
■O:今日のコラム
春になって、木々が一斉に芽を吹き始めました。カラカラに乾いて死んでいたかのような堅い木々から、柔らかく瑞々しい新芽が勢い良く萌え出ています。新しいいのちの息吹を見ると、私たちの心も元気になりますね。
今日の箇所で、異邦人のコルネリオが主に捧げていたささげ物が、主を慰め、喜ばせていたことがわかります。
彼はユダヤ人でもクリスチャンでもありませんでした。しかし、彼が、神を恐れ敬い、家族や部下にもそのようにさせ、ユダヤ人に施しをし、神に祈りを捧げていた、彼のその心とささげ物は、神様に覚えられていました。まるでかぐわしい香の煙や、祭壇の上で捧げられた全焼のいけにえのなだめの香りのように「神の前に立ち上って」いたと記されています。
一方、レビ記では、アロンの息子たちの内の二人が捧げた火が、神様の命じなかったものであったので、神様から火が出て、彼らが焼き尽くされてしまったことが記録されています。
ひどい事件や事故のニュースを見聞きすると、私たちの心も暗くなりますが、人間が神様から離れ、神様を侮り、罪を犯す時、また神の民が、神様を捨て、神様の戒めを捨てる時、神様の心は、痛み、神様は苦しまれます。
そのような中で、神様の心を慰め、喜ばせる人々がいたこと、ささげ物があったことを聖書は記しています。
■A:考えてみよう
・聖書の中で、どのような人々が神様を慰め喜ばせただろうか。
・どのようなささげ物が、神様に受け入れられただろうか。
■P:祈り
今日、私たちの心、態度、言葉、祈り、行動が、神様の御前に立ち上り、神様を慰めるものとなりますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 とも子 】
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