■S:今日の聖書の言葉
レビ記8章15節

★こうしてそれはほふられた。モーセはその血を取り、指でそれを祭壇の回りの角に塗り、こうして祭壇をきよめ、その残りの血を祭壇の土台に注いで、これを聖別し、それの贖いをした。

■O:今日のコラム
レビ記においては、ひたすら同じような繰り返しが出てきます。捧げ物、任職、病気の見分け方、幕屋の規定、例祭の規定、偶像礼拝etc…。これをそのまま読むのであれば苦痛でしかありませんね。しかし、レビ記は信じるものにとって重要な書簡になります。

レビ記は礼拝の規定を私たちに教え、また何がきよく何が汚れているかを見分ける分別の力を与えてくれます。レビ記全体のテーマは「神の民の聖別」だと言うこともできます。

ちなみに、16章までは祭司に関わること、17節以降は全ての民に関わる事が書かれています。出エジプト記で幕屋が建設されましたが、それだけでは意味がありません。そこで仕える祭司が必要です。今日はその祭司を任命し、油注ぐ大切なところになります。

アベルからこの時代まで、神様に捧げ物がささげられていました。それらは全て全焼のいけにえでした。しかし、今日のレビ記8章から新種のささげものが出てきます。それが「罪のためのいけにえ」です。

「ついで彼は罪のためのいけにえの雄牛を近寄せた。」(14節前半)

この罪のためのいけにえは、祭司が聖別されるときに出てきたものです。この捧げ物は他の捧げ物と少し違った特徴があります。それは今日のみことばに書かれていることです。

「モーセはその血を取り、指でそれを祭壇の回りの角に塗り、こうして祭壇をきよめ、その残りの血を祭壇の土台に注いで…」(15節)

血を祭壇の回りの4本の角に塗り、残りを祭壇の周囲ではなく、土台に注ぐと書かれています。角は力を表すものです。そして、土台に血が注がれるのが罪のためのいけにえの特徴です。また、祭壇は悔い改めを象徴する幕屋の器具でもあります。そこに血(いのち)が注がれるわけです。この事を思う時、つぎのみことばを思い起こします。

「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(ヘブル9:22)

祭壇の土台に血が注がれることで、きよめられ、また罪の赦しがなされていきます。旧約時代、この罪のゆるしは限定的であり、一部の人にしか開かれていませんでした。

しかし、今の恵みの時代は、イエス様がただひとり、傷のない子羊として贖いを完成してくださったことにより、私たちにも悔い改めの道が開かれました。異邦人である私たちは滅びに向かうしかなかった所に、神の一方的な恵みによって救済の道が用意されたのです。

イエス様こそ、私たちの罪の赦しのために尊い血(いのち)を流して下さったお方です。

「この方にあって私たちは、その血による贖い、罪の赦しを受けています。これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1:7)

■A:考えてみよう
・レビ記全体のテーマは何ですか?
・レビ記8章で、今までになかったいけにえがささげられました。何のためのささげものですか?
・このささげものの血はどことどこに注がれますか?
・エペソ1章7節のみことばを暗証しましょう。そして、朝に夕にこのみことばを宣言していきましょう。

■P:祈り
天のお父さん、この私に救いの道を示してくださったことを心から感謝します。
血が注がれなければ、罪の赦しはありませんでした。私は自分の血を流すこともためらってしまいます。まして、人のために自分の血を流すことは考えられません。それ以上の事をイエス様がしてくださったことを考える時、感謝が溢れてきます。
神を裏切り、神に敵対していたこの私をあきらめること無く、私の名前を呼び続けてくださいました。そして神様は私を救いの道に導いてくださっただけでなく、本来、人が神から授かっていた「この地を治める」という特権をも再び与えてくださいました。
イエス様の血の注ぎがなければ、これらはなし得なかった事です。それゆえに、今日もイエス様の血潮を賛美し、ほめたたえます。

私のために十字架で贖いの業を完成して下さった神の子羊、イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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