■S:今日の聖書の言葉
使徒の働き7章51~53節

★かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、父祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの父祖たちが迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって宣べた人たちを殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。

■O:今日のコラム
今日の箇所では、ステパノという人物が出てきます。

ステパノが大胆に神の言葉を語っていたために議会へ連れて行かれ、弁明するところから使徒7章は始まります。まずこの弁明から、ステパノは旧約(律法)についてよく知っていたことが分かります。

知っている、学んでいるということならば、議会にいる指導者たち、大祭司や律法学者、パリサイ人たちと同じでしょう。しかしここでステパノは、その律法から、神は手で造った家にはお住みにならないこと、また、父祖同様、人々は律法を知っていても守ってはいないという、神様が本当におっしゃりたいことを悟っていたのです。

このことを聞いていた人々の心は、のこぎりで引き裂かれるほどであったと54節に記されています。またヘブル書にこのようにあります。

「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

主がステパノを通して語られた言葉は人々の心を探り、心にあるものを明らかにするものだったのです。

鋭い真理によって刺された人々は、それに応答するのではなく、怒り、拒絶したことがステパノを迫害したことから分かります。それは、彼らこそ律法を知ってきた、重んじてきたとされた人だったからです。

しかし、今回、このような性質は私の内側にあることを思わされました。今日の箇所のみことばが胸に刺さります。どこかで自分が捉えていること、自分がやってきたことに誇りを持ち、それ基準のメガネでしか神様のみことばを見られなくなっているのです。自分は知っている、悟っているという高慢さがあるのです。そして真理が語られた時に、受け取るどころか拒むという私の中の肉の性質が反応してしまうのです。

しかし神様の御思いが何であるかを置いてけぼりにするなら、私たちは神様とともに歩んでいても独りよがりの歩みとなってしまうのではないでしょうか。

「外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。外部の人たちは神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。」(1コリント5:12~13)

ステパノとはどういう人物であったでしょうか。聖霊に満たされたがゆえに真理を悟り、臆することなく大胆に伝え、真理を貫くがゆえに命を捧げた、まさにイエスキリストのひな型であると思います。

私たちクリスチャンも主の足跡に従う真の弟子となり、主が言わんとしていることを悟る者、頭でっかちでなくみことばに生きる者へとなっていきたいと願います。

■A:考えてみよう
・主は毎日私たちにみことばを語ってくださいます。知っていること、やっていることを脇に置き、みことばにフォーカスしていきましょう。
今日もみことばを朗読し、時には時間をかけて立ち止まり、神様がみことばを通して本当におっしゃりたいことは何か、祈り、黙想する時間を持ちましょう。

・自分がみことばによって貫かれることなくして、みことばに歩むことできません。語られたことを拒み、自分で神様のみことばを阻んでいないでしょうか。
みことばは神様ですから、これは私たちを知っています!みことばを通して内側にある性質が明らかにされ、神様にあって、日々一歩ずつ主の似姿へと造り変えられていきますように。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ゆうこ 】

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