■S:今日の聖書の言葉
レビ記1章3節

★もしそのささげ物が、牛の全焼のいけにえであれば、傷のない雄牛をささげなければならない。それを、彼が主の前に受け入れられるために会見の天幕の入口の所に連れて来なければならない。

マタイによる福音書26章7〜9節

★ひとりの女がたいへん高価な香油の入った石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。弟子たちはこれを見て、憤慨して言った。「何のために、こんなむだなことをするのか。この香油なら、高く売れて、貧しい人たちに施しができたのに。」

■O:今日のコラム
私たちは神に知られている者でしょうか?神に知られているかどうか、神との親しい交わりがあるかどうかは、私たちの日々の礼拝にかかっています。

アダムの時以来、人は罪のゆえに神との霊的交わりが断たれていました(個人的に選ばれた人にだけ主は出会っておられましたが)。そんな中で出エジプト記において、主はモーセの幕屋を人に与えられました。モーセの幕屋、それは「このようにしたら、あなたはわたしと会うことが出来ますよ。」という神からの恵みの提案でした。

さらに詳しく言うならば、イザヤ59章1~2節にあるように、人間の罪のゆえに、人と聖なる神の関係は完全に断絶されている状態にありましたが、その全き聖なるお方に唯一近づき、また交わることの出来る手段を主が人間に与えてくださったのです。

聖なる神に近づき、また神ご自身に近づいていただくためには「いけにえ」が必要でした。しかも、そのいけにえとは群れの中から自分たちも食べないような質の悪い余り物の家畜を捧げるのではなく、傷のないものでなければ、神には受け入れられませんでした。

それは今日の礼拝でも同じであると信じます。

日々の生活の中で、神に近づき、また神に近づいていただくためには、「いけにえ」が必要です。時間を捧げ、体力を捧げ、真実な心を捧げ、主の御前に出ていく毎日の礼拝の時間、毎週の聖日の礼拝。主は捧げる人の捧げ物、つまりいけにえと、その捧げた人の心を見られる、ということを以前にも学びました。

最上のいけにえとは、礼拝をすべての最優先におくことを意味します。そのような礼拝は時には人には(クリスチャンにすら)愚かに見えるかも知れません。「そんな忙しい日に…祈りもいいけどまず先に1つ2つ仕事を終わらせてから礼拝した方がいいんじゃないか。」「礼拝優先のために、それを断るのは馬鹿正直すぎるでしょ。それくらいは、大丈夫だよ。」「そんなに献金しちゃって大丈夫なの?それより、他にいいお金の使い道あるでしょう。」私たちが最上の物を捧げようとする時に、さまざまな声が聞こえてくるでしょう。

今日の箇所に出てくるベタニヤの女は、まさにその状況に見舞われました。イエス様の弟子たちでさえ、彼女の最上の捧げ物を見て「無駄だ」と憤慨したのです。以前マナメールでも分かち合いがあったと思いますが、神の善と人間の善は違います。

人がいけにえを携えて、神に近づき、また神に近づいていただこうとする時、周りの誰か、いえ、自分自身のうちから「それは無駄だ。他により良い方法があるはずだ。」という声が必ず聞こえてくるでしょう。「こんなことは愚かだ。こっちこそが善だ。そこまで馬鹿正直、ストイックな信仰生活はしんどい。」そのような内側から語りかけてくる声を振り切って、いけにえを捧げきったこのベタニヤの女のような礼拝をいつも自分が捧げられているだろうかと、心に問います。

主はこのベタニヤの女になんとおっしゃったでしょうか?

「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」(マタイ26:13)

最高の褒め言葉にも聞こえます!世界中、福音が述べ伝えられるところで、彼女と彼女の捧げたいけにえについても語られると主は言われました。つまり、それほどにこれは重要なことであると、主は語られたのです。

神に近づくためには「最上のいけにえ」が必要です。そのような礼拝を日々捧げる時に、私たちは主に「知られている者」となっていくことが出来ると信じます。神を知っているつもり、知られているつもりで、かの日に「確かなところ、わたしはあなたを知らない」と言われることがないようにしたいと、切に願います。

A:考えてみよう
日々の生活の中で、神に近づき、神に近づいていただくための「いけにえ」が捧げられているだろうか?それは最上のいけにえだろうか?

もちろん、それが出来ない弱さを覚える時もあるでしょう。そうするのが、最善だと分かっていてもそう出来ない時があります。自分の肉の力では出来ません。けれども、私たちが「主よ、あなたに最上のいけにえを捧げたいのです。その力を与えて下さい。」と真実な心で求める時に、私たちに与えられている最高の助け手である聖霊様の御力の助けにより、そのことが出来るようになると信じます。

御霊の助けを受ける中で、やはり自分自身も行動に移さなくてはなりません。主が捧げる者の心とその捧げ物を見られます。その主の目を意識しているでしょうか?
週に一度しかない聖日の礼拝に遅刻することがないように、礼拝中に眠ってしまうことがないように、常に自分の最上を捧げることが出来ますように祝福します。

お一人おひとりの礼拝に対するその真実な心とその犠牲、いけにえに主が目を留めて下さり、ベタニヤの女にしたように、主がそれを褒めて下さると信じます!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

カテゴリー: マナメール

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