■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記40章33〜34節

★また、幕屋と祭壇の回りに庭を設け、庭の門に垂れ幕を掛けた。こうして、モーセはその仕事を終えた。そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。

38節

★イスラエル全家の者は旅路にある間、昼は主の雲が幕屋の上に、夜は雲の中に火があるのを、いつも見ていたからである。

■O:今日のコラム
モーセが主の命令通りに幕屋を完成させたときに、主の栄光が雲となって幕屋に満ちました。幕屋を通して主がイスラエルの民と共に住んでくださった証拠です。イスラエルの民は40年間荒野の旅路にある間、いつもその雲を見続けていました。

時に、肉の目で主の栄光を見てみたいと私たちは願いますが、それは責任が大きいことでもあります。なぜなら、イスラエルの民は主の栄光を見ながらも主の前で背信の罪を犯したからです。

40年間荒野を流浪するきっかけとなった背信の罪が民数記14章に書かれてあります。

「イスラエル人はみな、モーセとアロンにつぶやき、全会衆は彼らに言った。『私たちはエジプトの地で死んでいたらよかったのに。できれば、この荒野で死んだほうがましだ。なぜ主は、私たちをこの地に導いて来て、剣で倒そうとされるのか。私たちの妻子は、さらわれてしまうのに。エジプトに帰ったほうが、私たちにとって良くはないか。』」(民数記14:2〜3)

このようにヨシュアとカレブ以外の全会衆が口のつぶやきによって主に背信の罪を犯しました。ヨシュアとカレブはイスラエルの民を説得しようとしましたが無駄でした。

「しかし全会衆は、彼らを石で打ち殺そうと言い出した。そのとき、主の栄光が会見の天幕からすべてのイスラエル人に現れた。」(民数記14:10)

イスラエルの民の背信の罪は非常に大きなものでした。主の栄光の雲は背信の罪を犯したその時も幕屋の上にありました。彼らにとって栄光の雲を見ていても、もはや何も感じなかったのです。雲が視界には入っていたかも知れませんが、それが神ご自身の栄光であると認識することが出来なかったのです。そして、その栄光の雲から主のさばきが宣告されたのです。

この出来事を見るときに、人間の罪深さが深刻なものであることがわかります。主の雲を目の当たりにしていながらも、主に対して平気で罪を犯すことができるという事実です。人間は主の臨在に慣れてしまうという恐ろしい性質があることがわかります。イエス様自身このように言われています。

「イエスは彼に言われた。『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』」(ヨハネ20:29)

私たちの信仰の土台を目で見える現象に置くのではなく、神ご自身の口から発せられた御言葉に置く必要があります。

聖書に登場するパリサイ人たちは、目の前でイエス様の多くの奇跡やしるしを目の当たりにしながらも、イエス様を信じることが出来ませんでした。神を信じる為には御言葉に対する信仰が必要であることがわかります。イスラエルの民の失敗から私たちは教訓を得ることが出来ます。

新約時代に生きる私たちクリスチャンは神の神殿であり幕屋です。私たちの内に栄光の雲である聖霊様が住まわれるのです。

「あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。」(1コリント3:16)

私たちはどうでしょうか?私たちの内に神の御霊が住んでおられることを意識しているでしょうか?

聖霊様は神様ご自身です。聖霊様は天地万物を創造された全能なる神ご自身であり、恐れられるべきお方なのです。そのような偉大な神である聖霊様が私たちの内に内住しておられるのです。何と驚くべきことでしょう。

しかしながら、聖霊様が私たちの内に住んでおられるにも関わらず、私たちはイスラエルの民と同じように「口の言葉」によって神様に対する背信の罪を犯してしまうことが多くあります。

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。」(エペソ4:29〜30)

パウロは悪いことばを「いっさい」口から出してはいけないと強く命じています。なぜなら、聖霊様を悲しませてしまう行為は神様に対する背信の罪であるからです。悪いことばが私たちの口から出てしまったときには、すぐに悔い改めなければならないのです。次の御言葉にこのように書いてあるからです。

「わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」(マタイ12:36〜37)

聖霊様は私たちの口から発せられる言葉に敏感です。悪いことばとは逆に神を賛美し、御言葉を宣言し、人の徳を建て上げる言葉を発するならば聖霊様は大いに喜び、私たちを通して神の栄光を現すことになります。以下の御言葉にある通りです。

「あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい。」(1コリント6:19〜20)

聖霊様が私たちの内側に住んでおられることに慣れてしまってはなりません。信仰によって内側に聖霊様がおられることを新鮮な気持ちで信じなければなりません。私たちの内に聖霊様が住んでおられることを忘れてしまうと、すぐに罪を犯してしまいます。

絶えず聖霊様を意識して、聖霊様が喜ばれることを選択していきましょう。幕屋である私たちを通して、全地に主が今も生きておられる神であることを告げ知らせていきましょう。

今日も1日、皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。

■A:考えてみよう
私たちは日々聖霊様を意識しながら生活しているでしょうか?
聖霊様は私たちのする全てのことに関心を持っておられます。もし、聖霊様を悲しませている領域があるならばすぐに悔い改めましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あきひろ 】

カテゴリー: マナメール

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