■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記30章34~35節

★主はモーセに仰せられた。「あなたは香料、すなわち、ナタフ香、シェヘレテ香、ヘルベナ香、これらの香料と純粋な乳香を取れ。これはおのおの同じ量でなければならない。これをもって香を、調合法にしたがって、香ばしい聖なる純粋な香油を作る。

■O:今日のコラム
出エジプト記30章の後半には祭司が用いる香油の調合方法が記されています。これは私たちが主の御前で祭司の務めをし、真の礼拝者として主にお仕えする為の大切な油注ぎを表している箇所です。

・ナタフ香
ナタフ香は香木から自然に分泌された樹脂です。その意味は、礼拝は自発的であり、強いられてではなく自ら進んで、心から捧げるものであることを意味します。ナタフ香が香木から自然に分泌されるように、私たちの毎日の歩みからも絶えず礼拝の香りが自然に放たれていきますように。

私たちは日曜礼拝に集まる時、あるいは奉仕でステージに絶つ時にいきなり礼拝者になるのではありません。それは毎日の生活の延長でしかありません。私たちが主に礼拝を捧げる最も重要な現場は、毎日の生活の中にあります。

毎日、主に心を注いで礼拝者たちが日曜日に共に集まり礼拝を捧げる時、そこに強烈な礼拝の香が放たれることとなるのです。日々喜んで自発的に主を礼拝する者となることを目指しましょう。

聖霊様は私たちの内を「喜んで仕える霊」で満たしてくださいます。

・シェヘレテ香
シェヘレテ香は海の底から取られた貝殻を砕いて出来たものです。シェヘレテ香自体は香りが高いものではなく、この砕かれたシェヘレテ香が他の香と配合される時、他の香を引き立たせる役割を果すのです。

主が私たちに願われる礼拝は自分の技術や賜物、私たちの華やかさや美しさをアピールするものではありません。時に私たちは礼拝を礼拝し、賛美を賛美してしまう傾向があります。

しかし、私たちが礼拝を捧げ、賛美をする理由は唯一つ、主ご自身にあります。主は第一に私たちの心を見られます。ダビデは、

「神へのいけにえは、砕かれた霊、砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)

と告白して主を礼拝しました。砕かれた貝のシェヘレテ香が香油全体の香りをひき立てたように、砕かれた心の礼拝者たちは、礼拝全体を引き上げる者となります。

御言葉は私たちの高ぶりを砕き、へりくだり、砕かれた心を私たちの内に創造します。その時私たちは自己流の気ままな礼拝者から、真理によって整えられた、主の御心を行う礼拝者へと造り変えられていくのです。

・ヘルベナ香と乳香
ヘルベナ香は砕かれた葉から取られ、乳香は木が傷つけられ、刺し通され、そこから出た分泌液によって作られました。これは主イエスの十字架を意味する香料です。

礼拝は私たちの熱意や情熱によって完成するのではなく、礼拝が父なる神の御前に香り高い香として受け入れられるのは、主イエスの血潮によって私たちが覆われ、まことの聖所に入って行くことによって受け入れられるのです。

私たちの肉の悪臭を洗い流し、神に喜ばれる麗しい霊的な香りへと造り変える最も優れた香料は主イエスの血潮です。

これらの香料を身に塗る時、私たちは主の御前で祭司の務めを正しく果すことが出来ます。しかし、注意しなければならないことがあります。30章の結論にはこのように記されています。

「あなたが作る香は、それと同じ割合で自分自身のために作ってはならない。あなたは、それを主に対して聖なるものとしなければならない。これと似たものを作って、これをかぐ者はだれでも、その民から断ち切られる。」(出エジプト記30:37~38)

私たちが油注ぎを受け、礼拝をするのは、私たちの心地良さや、満足、自己達成の為にするのではありません。もちろん主の油注ぎを受け、礼拝を捧げる時、この世の何にも勝る喜びがあり、満足があります。

しかし、どこまでも礼拝の主体は「私」ではなく「主」であることを覚えましょう。

■A:考えてみよう
主が与えてくださる最高の香料である、御霊、御言葉、主イエスの血潮によって日々洗われ、真の礼拝者としての道を日々、一歩一歩進んで行きましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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