■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記24章2節

★モーセひとり主のもとに近づけ。他の者は近づいてはならない。民もモーセといっしょに上ってはならない。

■O:今日のコラム
神様はモーセひとりをシナイ山の上へと導かれました。民も、長老たちもモーセと一緒に行くことはできませんでした。

「主のもとに近づけ」に使われる「近づく」は「ナガシュ」という単語ですが、非常に親密な関係へ入っていくことを示唆する言葉です。

大事な話をするとき、何の関係もない人を同席させることは普通考えられません。愛する人と一緒に過ごしたいと思う時も、第三者を加えることはしないのではないでしょうか。

同じように、神様は私たちを民としてでなく、肩書きのついた何者かとしてでもなく、一個人、神様の造られた一存在としてご自身のもとへ引き寄せ、交わりを持ちたいと願われている、そのような側面をこの箇所から見ることができます。

言うまでもなく、共同体としても神様を礼拝し、喜びの交わりを持ち、主イエスを待ち望むことを聖書は大いに励ましています。(ヘブル10章24~25節参照)

二人、三人が集まるところは教会となり、イエス様の満ち満ちた身丈にまで成長するという尊い召しが私たちには与えられています。

しかし同時に、モーセをひとり呼び出された神様は、私たちにも「ひとり」で神様のもとに近づき、交わりを持ち、御声を聞くことを願っておられるのではないでしょうか。神様はモーセと一対一で会われ、ひたすらに神の幕屋の建て方について語られました。(出エジプト記25章~31章参照)

「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(第1ペテロ2:4〜5)

日々私たちが個人的にも、キリストを通して父なる神様に近づき礼拝する時間と場所を設けていくと、私たち一人ひとりが神の家を築いていく生ける石へと変えられていきます。

そして、その石の一つ一つが毎週や定期的に集まる共同体において、イエス・キリストを礎石として建て上げられて、神の御住まいとされていくのです。

それはまるで、建築現場で従事する一人一人が、建物を建てていくための設計図や計画書を見て、完成に至るまでの行程を理解し、自分に任せられた今日すべき任務を果たしていくことにも似ています。

神の宮を立てるための設計図であるみことばを理解する力により個々人がますます整えられ、教会の完成という共同体の大いなる益に還元されていきますように。

「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(エペソ4:16)

■A:考えてみよう
・モーセひとり主のもとに近づいて、主はモーセに何を語られましたか。
・毎日の生活で、私ひとり主のもとに近づき、みことばを受け取る時間を持っているだろうか。
・ひとりひとりがさらに生ける石として築き上げられていく時、共同体はどのように変化していくだろうか。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ぺい 】

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