■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記18章21節

★あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人々、不正の利を憎む誠実な人々を見つけだし、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にたてなければなりません。

■O:今日のコラム
先日、どうしても外せない用事があり、リーダーに相談しに行きました。「どうしてもこの用事だけは外せないので休みをください!」と。リーダーからの返答は、「主が王座に座っているからリラックスしなさい。」でした。今すぐ返事が欲しかった私にとっては、忍耐が試される時でした。しかし、すぐ後に、「そうだ。主が全て治めてくださっている!」という平安の思いでいっぱいになりました。

「主を恐れる」と聞いたり、また私たちもそのように言いますが、いったい「主を恐れる」とはどういうことなのでしょうか。

モーセと民が荒野から出ると、裁きが必要になってきました。民の中でたくさんの事件や問題が起こったのです。民は一日中モーセの前に立ち、裁きを待っていました。モーセ1人には重荷が大きすぎたのを見て、しゅうとのイテロはモーセに案をだします。それが、今日読んだ箇所ですが、どのような人が民を裁く者と選ばれたのでしょう。

(1)神を恐れる者
神を恐れるには御言葉を知っていなければなりません。そして、主の教えの基準がなければ民を裁くことはできません。また自分自身がまず御言葉に歩んでいなければ人々を裁くことができるでしょうか。神を恐れるとは御言葉に歩んでいる者なのです。

(2)力ある者
隣人を愛する者と言えます。「力を尽くして主を愛せよ。」の次に出てくるのが「あなた自身のように隣人を愛せよ。」です。力は私たちのしたいことに使うのではなく、まず主を愛することに使い、第二の戒めのために使うものです。

(3)不正な利を憎む誠実な者
不正な利とはなんでしょうか?たくさんの方向から言えますが、利益が出る何かに対して誠実であることです。私たちが現代に任されている仕事、家庭や経済、能力、時間に対して誠実であるということはとても重要です。モーセの時代においても問われていたのですから。

モーセは神を恐れていたので、民を裁くことができたように、私たちも神を恐れる時に、人々に恐れられるようになります。民がモーセに事件を持ってきたように、私の中にキリストが形造られる時、人々は答えを求めてくるでしょう。

私は、リーダーに言われたことに心の底から同意しました。主が王座に座ってくださっているならば全てのことを公正に裁いてくださると思ったからです。

王はただ座っているだけが仕事ではありません。義と公正によって民を裁かなければならないのです。私たちも主と共に治める者となるために日々私たちの内なる人が完成されていきますように。

「力ある者の子らよ。主に帰せよ。栄光と力とを主に帰せよ。御名の栄光を、主に帰せよ。聖なる飾り物を着けて主にひれ伏せ。」(詩篇29:1~2)

「主は、大洪水のときに御座に着かれた。まことに、主は、とこしえに王として御座に着いておられる。主は、ご自分の民に力をお与えになる。主は、平安をもって、ご自身の民を祝福される。」(詩篇29:10~11)

■A:考えてみよう
私の人生に主の御言葉が生きているだろうか。
忍耐が試される時、問題が目の前にある時に試されるものです。「主は良いお方である」ということは日々主と共に歩んでいる中で、御言葉から体験するものです。内なる人が今日も形造られていきますように。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

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