■S:今日の聖書の言葉
出エジプト記8章32節

★しかし、パロはこのときも強情になり、民を行かせなかった。

■O:今日のコラム
パロは何度も主の勧告を受け入れず、イスラエル人を出発させませんでした。それゆえエジプトの中には様々な闇の力が具現化して現れるのです。最後には、過ぎ越しの羊がほふられて、イスラエル人がその血によって分けられ、エジプトの初子が全て打たれることによってイスラエルは、エジプトと決別します。

エジプトは罪の象徴です。イエスキリストの血潮は、全ての罪から私たちを贖いました。

ところで今月の30日(金)の夜の安息日から過ぎ越しの祭りのシーズンです。このシーズンに注がれる特別なキリストの血の恵み、過ぎ越しの恵みを受け取って主をほめたたえていきましょう!

認めたくないかもしれませんが、私たちの中にもパロの性質がひそんでいます。私たちの中のパロは、主の御声が語りかけても、私たちのたましいを主に近づけることをかたくなに拒みます。

その原因を様々に言い表すことができるでしょうが、一つの表現は、自分の肉(パロ)が自分のたましいの王座に着いてしまっているからです。これこそ偶像礼拝の根本にあるものです。そして最後までこのことは私たちにつきまといます。

世の終わりには、荒らす憎むべき者(反キリスト)がその神殿に立って、「自分が神である」と宣言するのです。このことが自分という神の宮においてなされることを放置してはなりません。日々、主の御前にひれ伏し、王なるイエス様を自分の王としてお迎えしていきましょう。

この体をもって主をほめたたえることは、自分がしもべであり、主が王であることの告白なのです。しもべは自分の体をもって主人に仕えるものです。心と思いだけでなく、体をもって主に仕えることの信仰告白として、今日もひれ伏して主を礼拝しましょう。

そして、不法の人が御口の息吹によって殺される(第2テサロニケ2:8)ように、主が語られる御言葉の剣によって悔い改めをもって刺し貫かれ、十字架につけてしまいましょう。

ほふられた子羊の血の力によってイスラエル人が主を礼拝する者となっていったように、私たちの内なる人も子羊の血によって神のもとに近づいていけるのです。

■A:考えてみよう
自分の肉が自分の王座に座ることを拒み、その信仰告白として、主を王としてお迎えするためにひれ伏して礼拝しましょう。
自分の肉を十字架に打ち付け、過ぎ越しの血の恵みに預かりましょう。

■P:祈り
主よ。自分でも気づかないかたくなさがあるでしょう。どうぞ私を砕いてくださって、御前に進ませてください。今日もひれ伏してあなたを私の神、私の主、私の王としてお迎えします。あなたこそ私の王、私はあなたのしもべです。あなたを恐れ敬い、従います。喜んで仕える霊が私を支えますように。ただあなたの御心だけがなされますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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