■S:今日の聖書の言葉
ヨブ記38章1節

★主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。

■O:今日のコラム
聖書では、しばしば「あらし」の中で神が人に語りかける場面が出現します。今日の御言葉もそのうちの一つとして、「あらし」の中からヨブに答えられました。

私たちはあらしを通るとき、嫌というほど自分の弱さや醜さと向き合わされ、ついには自分の本音に出会うこととなります。

ヨブ記を通して語られることは人それぞれかと思いますが、試練真っ最中の「私の不義と罪とはどれほどでしょうか。」(ヨブ13:23)というヨブの叫びを読んだときに、「自分が気づいていない罪を教えてくれ、そうすればいけにえを捧げるから」という叫びのように聞こえてきました。もちろん間違ってはいないのですが、自分自身に重ね合わせるときに、時に思い違いをしていることに気づかされました。

それは、悪を避け潔白で正しくあり、神を恐れることに加え、ヨブの時代であったらいけにえを捧げ、今の時代であったら自分の熱心な宗教的行いによって、罪が贖われている気分になっているときがあることを思いました。

ヨブは神の義よりも自分自身を義とする信仰に立っていました。ヨブは神と実際に出会うことを通して、頭だけの信仰や、表面的な悔い改めから、真の悔い改めへと導かれました。罪とは「不品行、汚れ、ねたみ、偶像礼拝…」など様々なリストがありますが、最も大きな罪の根は「自分を神とする」つまり「自分を義とする」生き方をすることにあります。

私たちはただ唯一主イエスの十字架だけが贖いの成し遂げていることを覚え、悔い改めをもって自己中心から神中心へと方向転換し、日々十字架を負い、「自分を義とする」生き方から「キリストの義を受ける」歩みを日々としたいと願います。

■A:考えてみよう
あらしの中で、「今でも天には、私の証人がおられます。私を保証してくださる方は高い所におられます。」(ヨブ16:19)と神はヨブに対して救い主についての啓示を一歩進められまた。

そして、「あらし」として訳されている「セアーラー」という言葉は、他に「暴風、つむじ風、竜巻」といった意味を持つことからもわかる通り、あらしには必ず風が伴い、ひどい状況であればあるほど激しく吹く風のように、あらしの中に必ず聖霊の働きが伴い、主はそれゆえにあらしを人生の中に許可し、その中で私たちは主に対する理解を深め、ついには主に出会うこととなることを心から感謝したいと思います。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 れな 】

カテゴリー: マナメール

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