■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書28章19~20節
★それゆえ、 あなたがたは行って、 あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、 父、 子、 聖霊の御名によってバプテスマを授け、
また、 わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、 彼らを教えなさい。 見よ。 わたしは、 世の終わりまで、 いつも、 あなたがたとともにいます。 」
■O:今日のコラム
みことばを沢山朗読し、ひれ伏す生活を続けて気付かされたことがあります。聖書の中で書かれている神様は、ことごとく人に対して命令をされているということです。
一方、世の中ではどうでしょうか。会社においても「パワーハラスメント」などという言葉が使われ、上司が部下に指導するのが難しくなってきています。また、学校においても、教師が生徒と友だちのようになり、かつてのような権威が失われているように感じます。
もちろん、会社でも学校でも行き過ぎた権威の行使はよくありませんが、それらが正しく機能するのであれば組織はうまくいきます。
聖書の神は私たち人に対してことごとく命令されます。もし神様が「あなたがわたしに従ってくれたらいいんだけど、あ、でも、忙しいよね。それらを優先してからでいいから、わたしに従ってくれないかな?」と書かれていたらどうでしょうか。どこに権威があるのでしょうか。
神は私たちの創造主であり、私たちはちりから造られた神の被造物です。それであれば、神の命令に徹底的に従うことが求められます。
それなのに私たちはどうでしょうか。神の命令を読み飛ばしてはいないでしょうか。申命記28章に代表されるように、神の命令に聞き従うなら、祝福を受け、聞き従わないなら呪いを受けます。
もちろん、神の贖いは神の一方的な恵みによって誰でも無償で受け取ることができます。
「この方にあって私たちは、 その血による贖い、 罪の赦しを受けています。 これは神の豊かな恵みによることです。」(エペソ1:7)
しかし、救いを達成していくのは、神の命令を聞き、それに従って生きていくことです。
「そういうわけですから、 愛する人たち、 いつも従順であったように、 私がいるときだけでなく、 私のいない今はなおさら、 恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)
今日のみことばにも、イエス様からの命令が書かれていますね。
「それゆえ、 あなたがたは行って、 あらゆる国の人々を弟子としなさい。」
これがイエス様からの命令です。神様は本当に優しいお方なので、この命令をどのように守ればいいかを具体的に教えてくださっています。それがその後に続くみことばです。
「父、 子、 聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、 わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、 彼らを教えなさい。」
福音を伝えるだけでなく、人々を弟子、つまりみことばを聞き、それに従う人、もっと言えば、みことばがその人と完全に結び付けられ、福音の中に生かされる人を作りなさいということです。
守り、そして教えること、これは学んでそれを伝授していくということです。
この大宣教命令はもちろん、世界中の人に福音を述べ伝えなさいというイエス様の命令です。しかし、その前に福音を述べ伝え、学び、伝授する場所があります。
それは第一には私たち自身でしょう。自分の中に神様に従わない性質、みことばが述べ伝えられていない未伝の地はないでしょうか。その部分をみことばに従うようにさせるのです。
次には子どもたち、家庭です。年に何度も宣教旅行に行き、多くの実を結んでいる宣教師の子どもたちがとても深く傷つき、絶対に自分はそのような歩みをしないという人に出会ったことがあります。なんと悲しいことでしょうか。福音はまず、家庭で語られなければなりません。
教会も、また、教会学校もいいでしょう。しかし、そこに任せっきりにし、家では親は神の道と遠くはなれているような生活をしているなら、子どもの中に混乱が起こるでしょう。そして、信仰を捨て、教会を離れていってしまうかも知れません。
結局は親の信仰と選択です。世の中でいくら活躍し、いい成績を取り、いい会社に就職しても、永遠の時間をどこで過ごすかを知らなければその歩みは虚しいものになります。
私は、自分の子どもに福音を語るという聖なる特権を人に奪われたくはありません!こんな祝福があるでしょうか。
■A:考えてみよう
自分は家でそのような過ごし方をしているだろうか。それは神様に喜ばれる生き方だろうか。
自分は神の命令をきちんと真摯に受け取っているだろうか。また、それに従うように自分を律しているだろうか。
これらは簡単なことではないかもしれません。しかし、神は無理なことを私たちに要求されないお方です。私たちにできるからこれらのチャレンジをしてくださっています。この神様からのチャレンジを一緒に達成していこうではありませんか。
神の基準を知り、自分は到底そこに達成することができないという自分に対する絶望感を味わうからこそ、腹の底から「主よ!」という祈りが沸き起こるはずです。主はその叫びを聞いてくださいます。
そして、これらの救いは自分だけで達成するのではありません。本当に優しく、恵みに満ちた神様の約束が書かれています。
「見よ。 わたしは、 世の終わりまで、 いつも、 あなたがたとともにいます。」
インマヌエルなる主が、今日も私の傍らにいて私を励ましてくださっていることを感謝します。
■P:祈り
愛する天のお父さん、あなたの戒めを心から感謝します。いままでみことばを読んでいました。メッセージを聞いていました。しかし、私は何も悟っていなかったことを認め、悔い改めます。
どうか、あなたを知るための知恵と啓示の御霊を注いでください。みことばに書かれている神からの命令を自分のものとして受け取り、その命令どおりに生きていく力を与えてください。
第一サムエル15章22~23節には、「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、 その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。 聞き従うことは、 いけにえにまさり、耳を傾けることは、 雄羊の脂肪にまさる。まことに、 そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。 」とあります。
私が知らないで偶像礼拝の罪を犯していたことを知り、悔しいです。神からの大切な真理を見落としていたことに気づき、心が苦しいです。
イエス様とお会いした時、「わたしはあなたがたを全然知らない。 不法をなす者ども。 わたしから離れて行け。」と言われることがないよう、今から神の声を聞き、それに徹底的に従う歩みをさせてください。
私を愛し、義の道へと導いてくださるイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。
【 しゅん 】
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