■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書22章11~14節
★ところで、王が客を見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない者がひとりいた。そこで、王は言った。『あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか。』しかし、彼は黙っていた。そこで、王はしもべたちに、『あれの手足を縛って、外の暗やみに放り出せ。そこで泣いて歯ぎしりするのだ』と言った。招待される者は多いが、選ばれる者は少ないのです。」
■O:今日のコラム
以前私はイスラエルに行った時に国会に訪問し、その中でイスラエルの国会議員の為に祈る機会が与えられ、またその夜は、国会議員やチーフラビ、また国々の政府要人や教会のリーダーたちが集まる晩餐会に招待され参加しました。
しかし、日本を出る時点でそのような集まりに参加することは一切聞いて無く、スーツを持っていっていませんでした。イスラエルで最も高級なホテルでの晩餐会。皆がスーツを着て正装をしているのに、私はジャケットとスニーカーで参加することとなり、自分がその場に相応しくない様に感じ、そこから早く立ち去りたい気持ちになりました。
この地上でさえ、場所に相応しくない服装をすると恥をかくのであるなら、主の御前に立つ時に、神の国に相応しくない格好で出るとその恥はどれ程のものでしょうか。
今日の箇所で主イエスは、礼服を着ないで婚礼に参加し、外の暗やみに放り出された人のたとえ話しをされました。これは私たちが自分の救いを吟味する上でとても重要な内容です。
電車に乗る時にICカードを使用します。定期か、あるいはカードにお金を入金して駅の改札を通ります。自分ではカードにお金が入っているつもりでいても駅の改札を通過する時に、料金不足でゲートが閉まり、通過できないことを経験したことがあります。
神の国の門を通る時「期限切れの信仰」になっていることの無いように今日という日に、主イエスの十字架の救いにとどまり続けることが必要です。
人間の義と、神の義には天と地の差があります。たとえ、私たちが自分をなかなか良い人だと思っても、今の自分のままで大丈夫、それなりに立派な生き方をしている。と思ったとしても、私たちの義は主の御前には全く通用しません。イザヤ書には、
「私たちの義はみな、不潔な着物のようです。」(イザヤ64:6b)
と記されています。またサタンは絶えず告発者として、私たちの過去の失敗、罪の性質、神の御前に正しくない理由を引っ張りだして来て私たちを訴え続けています。ゼカリヤ書においてはサタンが大祭司ヨシュアの汚れた部分を訴えています。その時、主からこのような宣告がなされました。
「御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。『彼のよごれた服を脱がせよ。』そして彼はヨシュアに言った。『見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう。』」(ゼカリヤ書3:4)
天の御座の前において、今もサタンは告発者として私たちを日夜訴え続けています(黙示録12:10参照)。その告発者の訴えに勝利する方法は唯一、イエス・キリストの血潮と、その血潮の告白によります。
「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」(黙示録12:11)
神の御前に受け入れられる義の基準、正しい礼服は、主イエスの十字架に依り頼み、その血潮によって身を洗うことにあります。
「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。」(黙示録7:14b)
日々、主イエスの血潮を告白し、衣を洗い、正しい礼服を備えましょう。
■A:考えてみよう
主が迎えに来られる日、正しい義の礼服を来て主の御前に出ることが出来るように、日々、主イエスの十字架を見上げ、その血潮の恵みを告白し、神の聖さを受け取り続けましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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