■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書13章23節

★ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。

■O:今日のコラム
神様のこころはどこから発せられるのでしょうか。

聖書には「シオンからみおしえが出る」(ミカ4:2抜粋)とあります。私たちはみことばが語られるとは、何か奇跡体験的なことや、天からその声を聞くなど、外側から来る語りかけをイメージしやすいのではないでしょうか。

私自身、そのようなイメージを持っていた時があります。しかし実際は、みことばなる方が私たちの内に住まわってくださって、私たちの内側からみことばが溢れてくるのです。ですから、この心がどのような状態であるかは本当に重要なのです。

今日の箇所マタイ13章はみなさんもご存じの種蒔きのたとえ話が記されていて、道ばた、岩地、いばらの地、良い土地についてそれぞれ書かれています。地とは私たちの心を表し、耕された土地でなければみことばの実を結べないことが分かります(ぜひそれぞれの地についてご自分で読まれてみてください)。

土地に種を蒔く時には、雑草を抜き取り、不純物を取り除きます。土地に何か偽りの実がなっているならばそれも刈らなければなりません。まず土地を耕す必要があるのです。

今日のたとえにもあるように、この心から思い煩い、二心、みことば以外のもの(常識や自分の考え)を根こそぎ取らなければ主のこころを悟ることも出来ませんし、みことばの実を結ぶことも出来ないのです。

ですから、私たちの心が耕された土地、つまり砕かれた心となっている必要があると思います。

では、砕かれた心とはどのような心でしょうか。

「私のたましいは、いつもあなたのさばきを慕い、砕かれています。」(詩篇119:20)

詩篇119篇の作者は、律法に精通したエズラが書いたとも言われていますが、知識ではなく、みことばを愛し、これによって自分自身が変えられることを求める、砕かれた心が彼の内にはあったのです。

また神様は、みことばを恐れる心を持つ者、みことばを敬う者、自分自身をみことばの下に置く者に目を留めてくださいます。

「わたしが目を留める者は、へりくだって心砕かれ、わたしのことばにおののく者だ。」(イザヤ66:2b)

イエスキリストが私たちに与えられたということは、私たちにみことばが与えられたということです。この、命をかけて与えられたみことばをどのような心で聞き、どのように扱うかは私たちに任せられている責任です。

「というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」(マタイ13:12~13)

私こそ、みことばを完全に悟ることも出来ませんし、心も不純物だらけの者です。

しかし、土地の開墾に時間がかかるように、日々みことばを読んで受け取っては点検し造り変えられていく中で、みことばの深みに入り、ますます味わい、実を結ぶことが出来るように主が導いてくださると信じます!

■A:考えてみよう
・みことばの実を見たい!と願いつつ、それを見ることが出来ずに葛藤してはいませんか。その時に変わるべきは私たちの心であると思わされます。自分の心を吟味する時を持ちましょう。

・みことばが与えられていることに感謝するその時間を持ちましょう。みことばを愛し、慕い、求める飢え乾きに主は応えてくださる方であることを感謝します。

・みことばに恐れおののく心があるだろうか。日々与えられるみことばを尊ぶよりないがしろにしてはいないでしょうか。
神様はすべてを成し遂げてくださる方です。ですから、このお方を愛し敬い、みことばによって造り変えられ、みことばの中を歩む者となることが出来るように共に祈り求めていきましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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