■S:今日の聖書の言葉
ヨブ記7章16~17節
★私はいのちをいといます。私はいつまでも生きたくありません。私にかまわないでください。私の日々はむなしいものです。
人とは何者なのでしょう。 あなたがこれを尊び、これに御心を留められるとは。
■O:今日のコラム
「なぜ?どうして?」という問いかけには2つの種類があると思います。一つは、純粋に「知りたい」という質問です。そして、もう一つは「なんでだよ!納得がいかない!」という訴えに近い「なぜ」です。
今日の箇所では、ヨブはエリファズの正論を受けて、ますます苦しみの中で訴えます。7章の中では、「なぜ?どうして?」といったような問いかけが多く見られます。この「なぜ」は「なんでですか、納得がいきません」と訴える方の「なぜ」です。
「いつまで、あなたは私から目をそらされないのですか。」(19節a)
「なぜ、私をあなたの的とされるのですか。私が重荷を負わなければならないのですか。」(20節b)
「どうして、あなたは私のそむきの罪を赦さず、私の不義を除かれないのですか。」(21節a)
先日、受けた子育ての学びの中で、「子どもに指示する時に最初から最後までを説明して、やっと従わせるのは従順ではありません。それは説得です。たとえ、その時点では理由が分からなかったとしても、『はい』と従うのが従順です。説得して、従わせるのは従順とは言えません。」と講師であるクォン先生が語っておられました。
子育てのためとして「従順」を学ぶ中で、自分自身の中にある神に対する不従順に気付かされ、耳の痛い時間でした。
ヨブの名前は「敵対する」という意味があります。多くの「なぜ、どうして」を見る時に、彼の神に対する敵対心、反抗心を見ることが出来ます。
ヨブは、多くの訴えを神に投げかけ、そして今日の箇所のように語りました。この「人とは何者なのでしょう。。。」という問いかけは、一見良いように見えますが、「なんで私なんかに構うんですか。私はそんな大した者じゃないですから。あなたの関心を向けられる価値もないんですから、お願いだから放っておいてください。」といったような皮肉に満ちています。
今日の箇所と同じような問いかけをした人物がもう一人います。それはダビデです。
「人とは、 何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、 何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。」(詩篇8:4)
私はこの告白を本当に愛しています。この問いかけには、「自分のような小さい者に、あなたが目を留めてくださるなんて。」というような神への感謝が溢れています。
ダビデは、順風満帆な人生だったからこのような感謝が生まれたのでしょうか。いいえ。彼の人生にも、ヨブと同じように心引き裂かれる痛みが沢山ありました。正しい行いをしていたのに、信頼していた人から裏切られたり、家族に裏切られたり、戦場の日々で体中には傷を追い、命が付け狙われる緊張の日々であったり…etc
ダビデも詩篇の中で「なぜ」と問うていますが、その終わりには「けれども主は良いお方です」という告白で終わっています。
福音書の中で出て来る百人隊長。しもべの癒しをイエス様に願う時に「わざわざ、おいでくださる必要はありません。ただおことばを頂かせてください。そうすれば、しもべは必ず癒やされます。」と語り、
「と申しますのは、 私も権威の下にある者ですが、 私の下にも兵士たちがいまして、 そのひとりに『行け』と言えば行きますし、 別の者に『来い』と言えば来ます。 また、 しもべに『これをせよ』と言えば、 そのとおりにいたします。 」(ルカ7:8)
と言いました。これは権威に対する絶対的な従順について語っています。この百人隊長の神の主権に対する心を見て、イエス様は「このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」と言われました(ルカ7:9)。
人生の中で理解できないこと、理由が分からないことは沢山あります。主に向かって「主よ、なぜですか!」と訴えたくなることもあります。けれども、私たちの人生の主人は神様です。私たちの人生の王は主です。私たちは主の主権を認め、主に対する従順と感謝を身につけていきたいと願います。
従順と感謝は他の人の目には功績として見ることの出来ない隠れた性質です。けれども、感謝をもって、主に従い通す姿は主の目に大きく映っていることを励ましたいと思います!そのような歩みは、どれほど主の心を喜ばせていることでしょうか!
私たちが神に従い、神の御言葉に従う者、守り行う者となる時、主はそれを次のように語っておられます。
「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、 岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、 風が吹いてその家に打ちつけたが、 それでも倒れませんでした。 岩の上に建てられていたからです。」(マタイ7:24~25)
「わたしに向かって、『主よ、 主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、 天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。」(マタイ7:21)
私たちはますます主に従順になり、感謝し、主に喜ばれる者となっていきましょう。
■A:考えてみよう
私の内にある、神に対する不従順はなんだろう。神様の為さることに、いちいち「なんで?!」と敵対していないだろうか?
私の歩みの中で、神様への感謝が充分されているだろうか。
■P:祈り
主よ、今日、私の内にある神に対する不従順、神のみことばに対する不従順な部分に光をあててください。聖霊様、気付きを与えてください。へりくだって、その真実を受け止め、悔い改めます。私が造り主を訴えるような、不遜な罪を犯すことがこれ以上ないように、私の心に従順さを与えてください。状況ではなく、環境ではなく、すべてのことについて、いつも感謝する者となりたいです。
今日、あなたが私の神であることを新たに告白し、今日、あなたが私の主であることを感謝します!どのような中でも、あなたに従う時、みことばに生きる時、感謝する時、主がそれを喜んでくださることを感謝します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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