■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書1章17節

★それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

■O:今日のコラム
2018年に入り、今年は2ヶ月~3ヶ月に1度聖書を通読するという目標を持って毎日聖書を朗読しています。そうすると様々な空いた時間が活かされ、時間を無駄に浪費することなく、御言葉に向き合い、御言葉を朗読し、そうする中で御言葉が大きな喜びとして心を支配するようになるのを経験しています。

眠りに着く前まで御言葉を朗読するので時には夢の中で御言葉に基づいた夢を見ることがあります。また目覚める時もなお御言葉が内から溢れて来ます。先日は2週間かけてモーセ五書(トーラー)を朗読しましたが、まるでモーセと共に旅をし、共にイスラエルの様々な問題に葛藤し、モーセと一緒に時間を過ごしていたかの様な気持ちになりました。

そのように聖書を続けて読む時、マタイの福音書1章は今までよりも立体的に見える様になり、この箇所の中に、御言葉の朗読を通して共に信仰の道を歩んだ多くの信仰の友を発見することが出来るでしょう。「あっ!ここにあの聖徒の名前が、ここにもあの聖徒の名が記されている。」という風に。しかも、ここに記されている人々は主イエスの信仰の系図に組み込まれた人々です。

主イエスの家系になるとは、どれ程に崇高で、高尚な人々の集まりだろうか。と思うかも知れませんが、その人物たちの多くは、弱さを抱え、罪と肉の性質を持ち、失敗や痛みを経験し、それでもなお主に信頼し、主のあわれみによって生かされた人物たちでした。

その中に私自身の姿を見ることが出来、弱さ、不足、罪の性質を持った私の中に主イエスは来てくださり、ご自身の信仰の家系に組み込んでくださった、その偉大な恵みを知ることが出来るのです。

17節には一つの秘密があります。アブラハムからダビデまでが十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、と記されていますが、マタイ1章に記されている系図を実際に数えると確かに、十四代ずつあります。

しかし、もう一つバビロン移住からキリストまでが十四代になる。と記されていますが、この部分は何度数えても十三代しかありません。一代が抜けているのです。なぜでしょうか?マタイが記し間違えたのでしょうか?

そうではありません。実はこれは間違いでなく、十三代しか書かれていなくても十四代で合っているのです。なぜなら最後の一代に主イエスにあって私たちが組み込まれるからです。

今この地に生きる私たちは最後の世代、最終走者、アンカーの務めを受けている世代です。福音のバトンを握り、主の約束の完成、主イエスの再臨を実際に目で見る世代であると信じています。

聖書に登場する信仰者たちはこの世では既に死にましたが、しかし、神にあっては今もなお生きており、多くの主にある証人たちが、雲のように私たちを取り巻き、最後まで走り抜くように声援を送り続けています。

毎日聖書を読みましょう。

■A:考えてみよう
毎日、聖書を朗読し、新しいマナを自分自身が主から受け取りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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