■S:今日の聖書の言葉

列王記 第二 3章15-17節(同4章)

★ しかし、今、立琴をひく者が立琴をひき鳴らすと、主の手がエリシャの上に下り、彼は次のように言った。

「主はこう仰せられる。『この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。』主がこう仰せられるからだ。『風も見ず、大雨も見ないのに、この谷には水があふれる。あなたがたも、あなたがたの家畜も、獣もこれを飲む。』

■O:今日のコラム

みなさんは、自分が一体何をしているのか、自分のしていることは無駄ではないかと感じるときはありませんか?

私にとって、祈りは大好きなことでありますが、まれに「いったい自分は何をしているのだろうか」と感じてしまう時があります。今日のみことばは、そんな私に大きな励ましとなりました。

主はいつも、どんな時もイスラエルの民と共にいて、勝利を約束し、良き方向へと導いてくださることを約束してくださっています。しかし、イスラエルの指導者はその事を忘れ、「ああ、主が、この三人の王(イスラエル・ユダ・エドムの王)を召されたのは、モアブの手に渡すためだったのだ。」(10節)と、突然弱音を吐きました。

そこで、主の預言者であるエリシャが呼ばれました。

エリシャがまずしたことは、立琴をひく者を呼び寄せ、賛美をさせることでした。その時、エリシャの上に主の霊が下り、エリシャは預言をしました。このことから、先が見えない時の打開の鍵は賛美にあるということが言えます。

困った事、問題が起こった時、絶望の淵にいる時、自分の口を賛美で満たすときに、主の霊は激しく私たちの上に下ってきます。主は賛美の中に住まわれるからです。

「けれども、あなたは聖であられ、イスラエルの賛美を住まいとしておられます。」(詩編22篇5節)

そして、その預言の内容は、一見不思議なものに思えます。「この谷にみぞを掘れ。みぞを掘れ。」このことは一体何を意味しているのでしょうか。

原語を調べてみると、「みぞを掘る」とは、ため池のために地面を掘ると書かれていました。このみぞを掘る行為こそ、私は祈りではないかと思いました。

硬い地面をひたすら掘り続けることは骨が折れることです。果てしない作業のように思えるかもしれません。しかし、主はそこに水を満たしてくださいます。そして、あらゆる生き物がそこに水を求めてやってきます。

ここで大切なことは、「風も見ず、大雨も見ないのに、この谷には水があふれる」という預言を確信を持って信じ、実行するということです。私たちは、目で見て信じることはできますが、それよりも幸いなのは見ないでも信じることです。

「イエスは彼に言われた『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じるものは幸いです。』(ヨハネによる福音書20章29節)

「わたしを信じるものは、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネによる福音書7章38節)

私たちは全てを理解できなくても、祈りによって掘る作業を続けて行きましょう。

私たちのするべきことは賛美と祈りによってみぞを掘ることです。そこに水を満たして下さるのは神様です。この地に神の御国をときはなっていくために、今日も祈りと賛美によって信仰の基礎工事を進めて行きましょう。

■A:考えてみよう

日々の生活の中で、賛美と祈りを主に捧げていることはできていますか?

時間は全ての人に平等に24時間が与えられています。その時間をどのように使うかは私たち次第です。私たちは自分の最も興味のあることに時間もお金もエネルギーも使います。自分の一日を振り返って、何に一番時間を費やしているかを確認しましょう。

そして、神様との時間を徐々に増やしていき、神様を第一とする生活をおくることができるように生活スタイルを変化させていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー