■S:今日の聖書の言葉
創世記19章29節
★こうして、神が低地の町々を滅ぼされたとき、神はアブラハムを覚えておられた。それで、ロトが住んでいた町々を滅ぼされたとき、神はロトをその破壊の中からのがれさせた。
■O:今日のコラム
今日の箇所は有名なソドムとゴモラの箇所です。神様はソドムとゴモラの町を滅ぼそうとするときにロトとその家族を救い出されました。
ロトはなぜ救い出されたのでしょうか?聖書を読むと、ロトは義人であったと証しされています。
「また、無節操な者たちの好色なふるまいによって悩まされていた義人ロトを救い出されました。というのは、この義人は、彼らの間に住んでいましたが、不法な行いを見聞きして、日々その正しい心を痛めていたからです。」(Ⅱペテロ2:7~8)
義人が滅びるのは神様の御心ではありません。神は神を畏れる者たちを救ってくださいます。神様によって義と見なされた人々には必ず救いの道が用意されているのです。
罪と戦い、神を畏れる生き方を選ぼうとするならば必ず多くの戦いがやって来ます。ロトもソドムの町において、ヤハウェなる神を畏れ生きるならば多くの戦いがあったはずです。人々からは敵対視され、孤独を経験したに違いありません。
イエスキリストを信じるクリスチャンも神様から義人と見なされています。罪の世の中において神を選ぶ生き方をするならば、多くの戦いがやって来ます。人生の中で困難な状況や試練がやって来るでしょう。
そのような状況においてもロトが助け出されたように、必ず主は私たちにも脱出の道を用意しておられます。次の御言葉の通りです。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます。」(Ⅰコリント10:13)
人生の中で様々な試練がやって来ます。出口が見えないトンネルを通っているかのような状況が長く続くことがあります。その時に信仰を失いそうになることがありますが、そのような時にこそ十字架を見上げましょう。
ヘブル12章にもありますが、イエス様は信仰の創始者であり完成者です。十字架上で全てに勝利されたお方です。私たちの人生にやって来るどんな問題にも勝利されたお方です。このお方に信頼する時に、神様の方法で救いの道を開いてくださいます。ですから、最後まで諦めないで忍耐して信仰生活を歩んでいきましょう。
私たちは義とされてもなお、この地上で歩む限り弱さを身に纏っています。時に不信仰に陥り神様が見えなくなることがあります。イエス様から目を離してはならないと分かっていても問題の大きさや状況を見てしまうことがあります。また、神様の御言葉の約束を信じられなくなることがあります。ロトも同じように不信仰に陥りました。
「しかし彼はためらっていた。すると、その人たちは彼の手と彼の妻の手と、ふたりの娘の手をつかんだ。–主の彼に対するあわれみによる。そして彼らを連れ出し、町の外に置いた。」(創世記19:16)
彼はためらっていたとあります。ロトは娘の婿たちに警告をしましたが、婿たちはロトの警告を信じず冗談だと思いました。おそらく婿たちの言葉を聞いてロトは不信仰に陥ったのかも知れません。
不信仰の言葉を聞くと私たちの信仰は引き下げられてしまいます。私たちは信仰が引き上げられる言葉を絶えず耳に入れなくてはなりません。なぜなら信仰は聞くことから始まるからです。
不信仰に陥ったロトですが、主の憐れみによってロトは救い出されました。ロトの自分の力によらず一方的な主の恵みによるのです。
弱い私たちもロトと同じように主が自ら私たちの手をつかみ引き上げてくださいます。自分の力に頼らず、常に主の救いに信頼して歩んでいきましょう。主の救いはいつも最善のタイミングで成されていきます。
今日も一日、皆様の上にイエス様の豊かな恵みがありますように。
■A:考えてみよう
私たちの日常生活の中で、主の救いが必要な領域はあるでしょうか?
自分の力に頼らず今一度主に祈り、主の救いの業を体験していきましょう。
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン
【 あきひろ 】
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