■S:今日の聖書の言葉
創世記15章6節
★彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。
■O:今日のコラム
アブラハムは主の言葉を信じました。それがアブラハムの義と認められました。
人は心に信じて義と認められます。しかし、信仰によって生きることは、ここで終わりません。信仰によって生きるとは、信じたところによって生きることです。それは行動によって全うされます。
実際のところ、心で信じただけで行動が変わらなければ、何も変わらないのと一緒です。
天気予報で「今日は記録的な大雨です。」と流れていてもまだ晴天であったなら、天気予報を信じていない人は、傘一つ持っていかないのではないでしょうか?一方、それを信じて生きる人は、まだ雨を見ていないのに、傘を備えて出かけるのではないでしょうか?それが見ているところでなく、信じているところで生きる事を表していると思います。
私たちは、まだ見ていない御言葉の成就を信じて備えをする民です。そのためにしてはならないことをやめ、そのために変わらなければならないことに変化を求め、そのためにするように命じられていることを行って生きることは、信仰によって生きるのです。
信仰によるアクションは、私を生かし、私自身と私の周りに救いをもたらすのです。人は心に信じて義と認められます。しかし、口で告白するという信仰のアクションが救いをもたらすのです。心の中に始まった主の信仰を与えるみわざは、誰しもが見ることができる実となって、世の光となって現れるのです。
まだ結果を見ていないことに嘆くことなく、主により頼みましょう!信じているところによって歩み、生きていきましょう。見ずに信じる者は幸いであるという御言葉を信じましょう!必ず、時が来ると実がなり、全ての人はその偉大な光を見ることになるのです。
■A:考えてみよう
まだ実を見ていない約束を信じて、信仰の一歩を踏みだす。
見ているところによってでなく、信じているところによって生きる。
■P:祈り
あなたの与えてくださった約束を感謝します。あなたは真実な方です。あなたが言い送った言葉は、必ず事を成し遂げて、あなたのもとに帰っていくことを信じます。
見ているところによってでなく、信じているところによって生き、歩むことができるようにさせてください。なかなか結果を見れなくとも、私は約束を手放しません。あなたは必ず事を成し遂げられることを信じ、信頼して生きていきます。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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