■S:今日の聖書の言葉
創世記5章24節

★エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。

創世記6章8~9節

★しかし、ノアは、主の心にかなっていた。これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代であっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。

■O:今日のコラム
今日の箇所には、同じ言葉が使われています。それは、「神とともに歩んだ。」ということです。

神様は私たちを救い、導き、気づいている時も気づかない時も、ともに歩んでくださっています。

「恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ43:1b~2)

しかし、神「が」ともに歩んでくださることと、神「と」ともに歩むことには違いがあります。神様とともに歩むのは私たちの選択、私たちの同意が求められるのです。この決心を、神様は花嫁なる教会に、その中の私たち一人一人に求めておられることを感じます。

クリスチャンとして歩むことは祝福ですが、時に試練や葛藤もあります。その中で神様が必要だなと思う時もあれば、都合が悪い時は背をむけてしまうこともあるのではないでしょうか。

しかし私たちは、感情が伴う時だけついていくような神様のファンではなく、キリストの花嫁として召されているのです。良い時も悪い時も、神様とともに歩むこと、それこそ、愛する方のパートナーである私たちの役割なのではないでしょうか。

だからこそ、今日の箇所にあるように、このような歩みをしたエノク、またノアに神様は目を留め、わたしのこころにかなったものだ!と言っておられるのです。

では、彼らの時代に神とともに歩むのは簡単なことだったでしょうか。

聖書には、この時、地上に悪が増大し、神の前に堕落していたと記されています(創世記6:5,6:11)。悪がはびこる中にあって聖さを保ち、主とともに歩むことを選択するのは大きな戦いがあったと考えられます。そしてこの時代も今の時代も同じではないでしょうか。

聖書学校の学びで、終わりの時には神に仕えるのか、世に、自分の欲に仕えるのか、シンプルだけれどもとても大きな戦いがあると学びました。自分が人生の中心となり、神様以外のものに目を向けてしまうと、インスタントな満たしや世の成功や評価に心を奪われやすい者であると自分自身が思わされます。

しかし、誘惑こそ、戦いこそ、試練こそ、その中で神様に愛を示す最大のチャンスなのです。絶えず世が悪に傾く中にあっても、神とともに歩むこと、みことばなる方とともに歩むことを選択したいと願います!

「私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。…天では、あなたのほかにだれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。…しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。」(詩編73:21-28b抜粋)

神様こそ私の望み、願い、喜び、すべてです。

絶えず神とともにいること、それがトーブ(神の善)であり、真の幸いであるならば、それをますます味わっていきたいです!それこそ花嫁なる教会の特権です。

■A:考えてみよう
神がともに歩むことから、神とともに歩むことへと向かっているでしょうか。神とともに歩むとは、みことばと共に歩むことです(ヨハネの福音書1章より)。

今日も、そしてこの1年も、毎日至聖所の前で神様と顔と顔を合わせて交わりを持ち、その方から語られる生けるみことばを求めていきましょう。

また、私たちの内側に神の幕屋が設けられ、この1年も24時間、365日、いつも主が住まわってくださいますように。賛美で、みことばで溢れますようにと祈りをもって神様をお迎えする時間を設けましょう。

■P:祈り

愛するイエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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