■S:今日の聖書の言葉
黙示録20章12節

★また私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物も開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。

■O:今日のコラム
さばきを知る時、私たちの生き方が変わります。

さばきとは主を求める者にとっては大きな慰めであり喜びです。なぜならそのさばきの中で主は、私たちの心のはかりごとさえも正しく判別され、神をおそれ敬って生きた全ての人生の歩みに対して正しい報いをくださるからです。さばきとは私たち主の民が覚えなければならない重要なテーマなのです。

多くの場合、私たちはこう考えます。「私は既にイエス・キリストを信じているので神の恵みによりさばきとは無関係だ。」と。しかし、恵みの福音を宣べ伝えたパウロ自身がクリスチャンたちに対してこのように手紙を書き送っています。

「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。」(Ⅱコリント5:10-11a)

さらにヘブル人への手紙にはこのようにも記されています。

「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)

神学の弊害の一つに「置換神学」というものがあります。たとえばイスラエルを全て拒絶し、教会に置き換えたのが置換神学です。

しかし、これはイスラエルと教会のことだけでなく、神を信じる者と信じない者に対しても置換神学の概念が働き、このようなさばきについて聖書に書かれている箇所を読む時には絶えず自分を脇に置き、「これは神を知らないあの人々に対するさばき。」というフィルターを通して御言葉を読んでしまうのです。それなので御言葉を読んでも悔い改めに至ることがありません。

しかし、一方ではこの様にも記されています。

「神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。」(ヨハネ3:17-18)

この箇所を読む時、私たちは現代の「信じる」という概念と初代教会時代の「信じる」という概念には大きな違いがあることを知らなければなりません。現代の「信じる」という言葉は時に「キリストを信じているので、後は何をしても大丈夫。」という罪を犯しながらもなお天の相続者になるためのフリーパスポートのように用いられてしまう場合があります。

しかしパウロもユダもはっきりとそれは主の教えではなく、恵みを放縦に変えた状態だ。と警告をしています。初代教会時代の「信じる」という言葉には「忠実、真実、従う」と言う意味が含まれており、信じることは教理や神学を概念の中で受け入れることではなく、人生全てを捧げて主イエスに従うことを意味していました。

しかし、どこまでも罪と肉の性質があり、自己中心で自分勝手な私たちが主に従うということは出来ないことだと感じます。主に従い生きようとすると絶えず内なる戦いと葛藤を感じ、時には弱さに打ち負かされたかのように感じる時もあるでしょう。

そのような私たちに主は御座にあるもう一つの性質へと導きの手を差し伸ばしてくださっています。それは「恵みの御座」です。

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。」(ヘブル4:15-16)

ここに一つの矛盾が主の御座で生じます。主の御座において「さばきの座」と「恵みの座」が交差するからです。主のさばきは絶対的なさばきであり、決してそこに偽りや不正や許容があってはなりません。

しかし、それと同時に主の恵みは偉大なあわれみであり、全てを信じ、全てを赦し、全てを愛し受け入れる恵みなのです。この矛盾はただ一つの場所だけで解決します。それが主イエスキリストの十字架です。

十字架の縦の線はどこまでも父なる神に忠実に真実に歩まれた、さばきに対する御子の姿であり、十字架の横の線はどこまでも私たちを愛し、赦し、あわれみを示して下さった、恵みに対する御子の姿です。

私たちが主の御前に大胆に立つことが出来るのでは、私たちの立派さや、力のゆえでなく、ただ主イエスの十字架のゆえであることを覚え、1年の終わりに十字架を見上げ、その十字架の恵みに心から感謝する時間を持ちましょう。

■A:考えてみよう
一年を振り返り、一つ一つの恵みを数え、具体的に主の御前に感謝を告白し、賛美を捧げる時間を持ちましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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