■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録15章2節

★私は、火の混じった、ガラスの海のようなものを見た。獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った人々が、神の立琴を手にして、このガラスの海のほとりに立っていた。彼らは、神のしもべモーセの歌と小羊の歌とを歌って言った。

■O:今日のコラム
ヨハネの黙示録4章に、父なる神の御前に「ガラスの海」があったことが記されています。しかし、黙示録15章には、「火の混じった」ガラスの海の中が描かれています。これは、神の裁きを表していると言えるでしょう。

そして、その海のほとりに「獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った」者が登場します。

「また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。また、その刻印、すなわち、あの獣の名、またはその名の数字を持っている者以外は、だれも、買うことも、売ることもできないようにした。」(黙示録13:16-17)

獣は、反キリストを表しています。終わりの時に反キリストの像を拝まない者は、殉教しなければなりません。また、右手か額に刻印を受けることが書かれています。

神のしもべたちにも刻印が押されますが(黙示録7:3)、これは獣の刻印です。獣の刻印を受けないとあらゆる経済活動ができなくなります。この選択の中にも神を選ぶのか、そうでないのかの選択があります。獣に像を拝む者は、殉教しなければなりませんでした(黙示録13:5)。

しかし、そのような厳しい状況の中にあっても「獣と、その像と、その名を示す数字とに打ち勝った」者は、神の道を選んだのでした。

「あなたは、この民に言え。主はこう仰せられる。『見よ。わたしはあなたがたの前に、いのちの道と死の道を置く。』」(エレミヤ21:8)

この地上で見たならば、彼らの死は敗北のように見えますが、天においては、勝利者です。

天において、彼らは、モーセの歌と小羊の歌を歌っています。モーセの歌は、モーセがイスラエルを率いて、紅海を渡り、エジプト軍が紅海の中で溺れ死んだ時に歌った歌です。小羊の歌は、小羊イエス・キリストの流された血によって、罪赦され、義と認められ、神の救いにあずかったことを讃える歌ではないでしょうか?だから、彼らが、この世にあって神にあって勝利したことを意味しているのだと思います。

獣の像を拝むか拝まないか、獣の刻印を受けるか受けないかは大きな選択です。

私がクリスチャンになったばかりの頃、信仰の先輩に「大きな選択の時に神の御心かそうでないかを聞くのではなく、毎日の生活の中でする小さな選択で神様に聞いていくと良いよ。」と教えてくれました。いのちの道を選ぶか死の道を選ぶかの選択は日々の生活の中に無数に置かれているのだと思います。その中で、いのちの道を選び取っていこうではありませんか。

「肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」(Ⅰテモテ4:8)

■A:考えてみよう
今日、あなたに語られているみことばは何ですか?
日々の選択の中で、みことばの道を選択する鍛錬をしていこう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あいこ 】

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