■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの黙示録14章4~5節
★彼らは女によって汚されたことのない人々である。彼らは童貞なのである。彼らは、小羊が行く所には、どこにでもついて行く。彼らは、神および小羊にささげられる初穂として、人々の中から贖われたのである。彼らの口には偽りがなかった。彼らは傷のない者である。
■O:今日のコラム
この箇所は、地上から贖われた十四万四千人の人々が天で礼拝し、その者たちがどのような者であるのか書かれています。
この御言葉を読む時、「私もそのような人になりたい!」とシンプルに願います。ですが、実際に行いが伴うには、そう簡単ではありません。
特に口の言葉についてフォーカスをあてたいと思います。口の言葉を思う時、この御言葉の箇所が思い出されます。
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。偽りを言う口をあなたから取り除き、曲がったことを言うくちびるをあなたから切り離せ。」(箴言4:23-24)
私たちは、口の言葉を取り扱う時、同時に内側を取り扱わなければなりません。内にあるものが外に出るからです。私は人を裁いてしまう時、不満や裁きが口から出そうになります。その時、御言葉が私を助けてくれます。
「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。」(箴言4:23a)
私が見張るべきは、人ではなく自分の心こそ見張るべきだ。と、悔い改めの思いがやってきます。
裁きや不平不満が口に上りそうな時、すぐに自分の心を点検し見張りましょう。悔い改めるべきは、人ではなく自分であることに気づきます。そして変わるべきは自分だと。
そしてもう一つ、主への口の言葉について取り扱われています。祈りの中で主の前に決断したことを、口だけではなく行うことです。そうでなければ、主に対して偽りを言い続けていることになります。
しかし、自分の力、努力では出来ないことを痛いほど経験します。だからこそ、私には聖霊様が本当に必要です。祈りの中で決断した事も、聖霊様なしに続けることは無理です。そして悔い改めと血潮がなければ、変わることも出来ません。やはり、御霊と水と血が必要なんです。
毎日の歩みの中で自分の力や考え、経験を手放し、聖霊様を必要としていきたいと切に願います。そうであるなら毎日の与えられている時間をどのように過ごすかが、変わってくるはずです。
「もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。」(ガラテヤ5:25)
■A:考えてみよう
・自分の口の言葉は何を話しているだろうか?
・自分の心を見張っているだろうか?
・毎日を聖霊様に導かれて歩いているのか?それとも自分の肉で歩いているのか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 おりえ 】
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