■S:今日の聖書の言葉
★ヨハネの黙示録11章10節

また地に住む人々は、彼らのことで喜び祝って、互いに贈り物を贈り合う。それは、このふたりの預言者が、地に住む人々を苦しめたからである。

■O:今日のコラム
シャローム。今日も私たちはこの地にいながら、主の家に住まう者として歩んでいきましょう!

黙示録11章では、神様から遣わされた謎の2人の預言者が登場します。この2人の預言者については、いろんな解釈がされています。ある人はエリヤとモーセだとか、いや、どちらかは、エノクだとか、、。

私たちはこの2人の預言者が誰であるのかということを追求する必要はないと信じます。なぜなら、彼らが来るときに私たちはすでに携挙されているか、もしされていないにしても、現れたならば、聖霊様が悟らせてくださいますので。そこまで、この2人は一体誰なのかということを重視する必要はないと私は思います。

それよりも、ここで語られておられるメッセージが、今日の私に何を悟らせようとしているのかを聖霊様によって教えてもらう方が、はるかに重要であり必要です。

黙示録11章には、いろんなことが語られていますが、私は今日、この10節のみことばから、もう一度矯正され、正しい位置に自分の霊を、また自分の人生を置くことを語られました。

11章前半には2人の預言者がいろんな災害を携えて、主を証しますが、最終的に殺されます。そして、その時の「地に住む人々」の反応はどうだったでしょうか?

彼らは喜び祝ったとあります。なぜですか?苦しみが去ったからです。

「地に住む人々」は、神様からの裁きを「苦しみ」としか捉えず、彼らの肉が苦しんでいることを、喜びません。彼らは逆に快楽を喜んでいるからです。

では、私たちはどうでしょう?もし、私たちが「地に住む人々」であれば、同じ反応をするでしょう。苦しみを通る時、喜びが一切なく、神様に不平不満を言い続け、苦しみがなくなる時には、喜ぶ。その繰り返しです。

しかし、私たちは「地に住む人々」なのでしょうか?

パウロは言いますよね。「いつも喜んでいなさい。」ヤコブも言っています。「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」ペテロも試練の中で喜んでいました。

このような人々は「地に住む人々」と違う反応をしています。苦しみを喜び、そこから得られる主の栄冠を目指し前に進んでいました。彼らにとって、苦しみが取り去られることが喜びではなく、その先にあるゴールを見据えていました。

彼らこそ、この地にいながらの、この地の寄留者であり、「天に住む人々」です。なので、彼らの視点は苦しみから抜けることではなく、ただただ、天の喜びに満ちていたのです。

私たちが「天に住む人々」となる時、私たちは苦しみをただの苦しみとして受け入れず、主にますます近く歩み、また、これから、幸いを得られるという希望に満ちていきます。

申命記8章14~16節には、出エジプトをしたイスラエルの民を苦しめ、試みたのは、「あなたをしあわせにするためであった」と主が語られました。

主は私たちに苦しみを通らされます。しかし、それは、私たちがそこで自分が何者かを知り、そして、主にすがるものとなり、最終的には主にあって幸いを得るためです。なので、苦しみをこの上もない喜びとして、「天に住む人々」として歩んでいきましょう。

■A:考えてみよう
今、苦しみの中におかれているでしょうか?ダビデが戦いの中にいた時、一つのことを願ったように、私たちも、主の家に住むことを願っていきましょう(詩篇27篇)。主の麗しさを仰ぎ見、主を思い、主に目を向けていきましょう。

主がなさいたいことに心を留め、主から受ける報い、それは、愛であり、喜びであり、忍耐であり、御霊の実が、ますます私たちの内側で実っていくことを喜びましょう。

「天に住む人々」として、今日、この地で歩んでいきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 かよ 】

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