■S:今日の聖書の言葉
民数記3章2〜3節(使徒の働き28章)
★「イスラエル人の全会衆を、氏族ごとに父祖の家ごとに調べ、すべての男子の名をひとりひとり数えて人口調査をせよ。
あなたとアロンはイスラエルにおいて、二十歳以上の者で、すべて軍務につくことのできる者たちを、その軍団ごとに数えなければならない。
■O:今日のコラム
今日から民数記に入ります。
モーセ5書は、それだけで神の計画を表しています。
そして、それぞれの書簡に一つの目的の達成が示されています。
民数記は、民を数えるところからそのようにつけられましたが、もともとは違います。
それは「ベミドバル」で、「荒野にて」という意味です。
族長時代を超え(創世記)、過ぎ越しの子羊がほふられ(出エジプト)、まことの礼拝について教えられた(レビ記)その後の書簡になります。
出エジプト記では、第2年の1月にモーセの幕屋の礼拝が完成したので、その後がスタートになります。
これは、イスラエルに福音が留まった時代を超え、イエス様の十字架の経て、教会が打ち建てられ、霊とまことの礼拝が回復する時代に入った現代に例えられます。
現代は、荒野で神の民が約束のものを得るために旅をしているからです。
この書簡を今回読むとき、荒野にて、私たちがここから多くの事を教えれられ、恵みを受けますように。
民数記では2回の人口調査が行われます。
最初の人口調査は、第2年ですから、この時に数えられた民は、ヨシュアとカレブを除いて滅んでしまう事になります。次の人口調査は、26章ですが、ここで、数えられた民は、約束の地に入っていく民という事になります。
主は、最初に主のしもべとして戦う戦士を数えておられます。
民数記の最初でも、軍務につくことのできる者、神のために戦うしもべを数えておられます。
黙示録においても2回の人口調査があります。
最初は聞き従う者、しもべの数を数えています。
民数記と違うのは、このしもべは礼拝者であって、堅く守られるという点です。
「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を与えてはいけない。」
それから私が、印を押された人々の数を聞くと、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押されていて、十四万四千人であった。
(黙示録7:3〜4)
そして、私は、12章で花嫁なる教会が生み出されると信じていますが、その直前11章では、聖所と祭壇と礼拝者が数えられます。
現代は私たちが生ける神の宮ですから、ある意味、聖所、祭壇、礼拝者は霊とまことによる礼拝者、完成した礼拝者を数えている事になります。
それから、私に杖のような測りざおが与えられた。すると、こう言う者があった。「立って、神の聖所と祭壇と、また、そこで礼拝している人を測れ。
(黙示録11:1)
エゼキエル40章からは、完成した千年王国時代の神殿を描いていると言われていますが、その時も主は聖所を測られます。
すでに主は、私たちを主の軍隊、しもべとして数えておられます。
しかし、私たちにとって重要なのは、最後に霊とまこと(真理)による真の礼拝者として数えられることです。
自らのからだを生きたきよい備えものとして捧げ、礼拝者として歩む事には大きな意味があります。
■A:考えてみよう
父の求めている、霊とまこと(真理)による真の礼拝者としての歩みを学び、歩んでいこう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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