■S:今日の聖書の言葉
ルカ6:45
★良い人は、その心の良い倉から良い物を出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を出します。なぜなら人の口は、心に満ちているものを話すからです。
■O:今日のコラム
私たちの心の内は、人には見えませんが、私たちはその語る言葉によって、心に何が満ちているかを知ることが出来ると、イエス様は教えておられます。
日頃、私たちの、この口から頻繁に出る言葉は、どのような言葉でしょうか?
私たちは自分の語る言葉に注目することによって、自分の心に何が満ちているかを知ることが出来ます。
ある人は、批判であったり、皮肉であったり、馬鹿にするような言葉であったり、否定的であったり…
その反対に、ある人は肯定的であったり、喜びであったり、感謝であったり、賛美であったり。
その言葉の端々を、注意していると、その人の心が見えてきます。
今日の箇所である聖句を読むたびに、『それはもちろん、その通りですよ…分かってますよ。自分の倉である「心」を良い物で満たしたいと願って頑張っているのに…』と、反省していたかもしれません。落ち込んでいたかもしれません。
そんな方には朗報です!
良い物を良い倉から出す、という意味では、私たちはもちろん、言葉の出てくる倉である、「心」を見張る必要があります。
それが大前提なのですが、実は、「心を見張る」ことと同時に、私たちは、語る言葉、宣言する言葉に、心を矯正させることも出来るのです。
私たちは、祈りの家で、御言葉を何度も声に出して宣言し、それから祈る、という時間をもっています。
何回も何回も、腹の底から声を出して、御言葉を宣言します。
とても不思議なのですが、私たちは、自分の口から出てくる御言葉、自分の口の宣言によって、内なる人が矯正され、また強められ、また、きよめられてゆくのを体験します。
「聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。」(第2テモテ3:16)
「キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、」(エペソ5:26)
また、神様は口の言葉、その宣言をもって、無から有を作り出されました。
「光よ。あれ。」という宣言から、光が作り出されました。
主の似姿に造られた私たちが、主の約束である御言葉を宣言する時、私たちの人生でそれが「有」となり、実現されることと信じます。
悪い言葉が口をついて出てきそうになる時でも、敢えて御言葉を宣言しましょう。
主の御名を高らかに歌いましょう。
■A:考えてみよう
自分の口から出る言葉は、どんな言葉が多いだろうか。
是非、今日からデボーションの時間に御言葉の朗読することを始めてみて下さい。
皆さんが、神の言葉の力を体験することを祝福します!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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