パク・ホジョン師 祈りのセミナー2013レポート
わたしの家は祈りの家と呼ばれる 06
「シモン・ペテロが答えて言った。 「あなたは、 生ける神の御子キリストです。 」するとイエスは、 彼に答えて言われた。 「バルヨナ・シモン。 あなたは幸いです。 このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、 天にいますわたしの父です。ではわたしもあなたに言います。 あなたはペテロです。 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。 ハデスの門もそれには打ち勝てません。わたしは、 あなたに天の御国のかぎを上げます。 何でもあなたが地上でつなぐなら、 それは天においてもつながれており、 あなたが地上で解くなら、 それは天においても解かれています。 」そのとき、 イエスは、 ご自分がキリストであることをだれにも言ってはならない、 と弟子たちを戒められた。」(マタイの福音書16書16 – 20節)
わたしが、わたしが、わたしが。
前回は「知恵と啓示の御霊」と言うテーマでお届けしました。前回の答えです。A1. エペソ書のパウロの祈りの核心はエペソ1章17節で、知恵と啓示の御霊に関してです。A2. この核心を持つと、私達の祈りは天に影響を与えます。A3. しかし、時に私達の祈りが天に影響をあたえることができないのは、その祈りが天の窓を開く祈りでないからです。
このところにおいて、注目すべき言葉があります。それは「わたしが、わたしが、わたしが。」という単語です。この3回も繰り返される「わたしが」という単語が大切なのです。18節は教会を建て上げることなのです。19節は教会の機能と権威が書かれています。18節に「わたし」という言葉が3回でてきます。「わたし」がペテロを呼び出し、イエス様が「わたし」の教会と言われています。「わたし」がこの岩の上にわたしの教会を立てると言われています。皆さん、教会は主のものです。ですから、イエス様と教会はひとつです。
私達の主は偉大ですか?全能なる方ですか?であれば、教会も偉大で、全能であるべきです。教会は偉大な共同体であるべきです。エペソの1章には、「教会はキリストの体であり、キリストは教会の頭である」と書かれています。頭と体が別であることはあり得ません。マタイの16:18は私達に言います。教会の主人も、所有者も、教会を建て上げる方もイエス様です。教会の働き人、しもべたちを呼び出されるのもイエス様です。「わたしが、わたしが、わたしが。」です。ですから、教会はイエス様のものです。ですから、イエス様と教会は一つです。ですから、教会は偉大な存在なのです。教会と主はひとつであるようにと祝福します。イエス様が頭で、教会が体であれば、教会は偉大なことを成し遂げることができます。教会は全地を治める事ができます。そのような教会がこの日本に起こされることを祝福します。頭と体が一つとなっているそのような教会になりましょう。
Q1. マタイの16章18節において、注目すべき単語は何ですか?
Q2. マタイの16章18節は何について書かれていますか?また、19節は何ですか?
Q3. 教会は誰のものですか?
Q4. 教会はどのような共同体であるべきですか?
Q5. 頭であるキリストと体である教会は別々のものですか?
(答えは次回に)
<続く>
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