■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書15章4~11節
★わたしにとどまりなさい。 わたしも、 あなたがたの中にとどまります。 枝がぶどうの木についていなければ、 枝だけでは実を結ぶことができません。 同様にあなたがたも、 わたしにとどまっていなければ、 実を結ぶことはできません。
わたしはぶどうの木で、 あなたがたは枝です。 人がわたしにとどまり、 わたしもその人の中にとどまっているなら、 そういう人は多くの実を結びます。 わたしを離れては、 あなたがたは何もすることができないからです。
だれでも、 もしわたしにとどまっていなければ、 枝のように投げ捨てられて、 枯れます。 人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、 それは燃えてしまいます。
あなたがたがわたしにとどまり、 わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、 何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。 そうすれば、 あなたがたのためにそれがかなえられます。
あなたがたが多くの実を結び、 わたしの弟子となることによって、 わたしの父は栄光をお受けになるのです。
父がわたしを愛されたように、 わたしもあなたがたを愛しました。 わたしの愛の中にとどまりなさい。
もし、 あなたがたがわたしの戒めを守るなら、 あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。 それは、 わたしがわたしの父の戒めを守って、 わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、 わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、 あなたがたの喜びが満たされるためです。
■O:今日のコラム
私たちは、とどまるときに新しい恵み、新しい力を受けます。ここでは、よく見ると3つのものに『とどまりなさい』と主が語られていることが分かります。そしてさらによく見てみると、これは、ステップであることが分かります。
① 『わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。』(ヨハネ15:4)
イエス様にとどまることを通して、救いの御業は、私たちに解き放たれていきます。朝に、主の御そばにとどまって祈り、生活の全てがイエス様に対する礼拝となって、主にとどまって、主につながり続けるとき、大きな実り(=御霊の実、人格の完成)を見るでしょう!
② 『あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。』(ヨハネ15:7)
イエス様にとどまり続ける者は、御言葉が与えられていきます。それを行うための力もです。その御言葉にとどまることが次のステップです。主が私にどのように生きて欲しいのか?が解き放たれていきます。そうあるとき、私たちの祈りは、聞かれる祈りとなっていきます。
③ 『もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。』(ヨハネ15:10)
御言葉にとどまり続ける者には、さらなるステップがあります。それは、神の愛にとどまることを味わうようになるのです!ここが大切です!ここが目標です!絶えず神の愛に浸されて、神の愛に包まれて、神の愛の中に住むようになるのです!(『とどまる』はギリシャ語でメノ=住む、という意味があります)
そしてこのステップは、絶えずループしてさらにパワフルに、さらに素晴らしいものになって行きます。ハレルヤ!私は、何が何でも神の愛の中に住みたい!これをもっと知りたい!主よ!あなたを愛しています!
■A:考えてみよう
主を礼拝する、礼拝者として、御言葉を行う者として、神の愛に住まうものとして生きていきましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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