■S:今日の聖書の言葉
ヨシュア記11章15節

★主がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じたが、ヨシュアはそのとおりに行い、主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かなかった。

■O:今日のコラム
ヨシュア11章は、主がモーセに命じたことを、モーセを通してヨシュアは受け取り、それを行っていくという場面です。そして実際にヨシュアは成し遂げるのです。

ヨシュアはただそれをモーセから言われたから仕方なくやっていたのでしょうか。またこれは簡単に成し遂げることができたのでしょうか。

「ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った。」(ヨシュア11:18)

そんなことはないことをはっきりとこの箇所を通して思わされます。ただモーセから言われたことをやる、そのようにヨシュア思っていたならば、長い間それに取り組むなんて決してできなかったでしょう。途中でたくさんの問題が起こるでしょうから、モーセが言ったから私はやった、だから私は関係ない、知らない、と言って辞めてしまうこともあり得たのではないかなと思います。

自分自身の話になりますが、社会人一年目に学んだ一つのことは、与えられたことを自分のものとするということです。私は、言われたことを淡々とやることが好きなタイプです。それですので現場に遣わされていた時は、問題なくこなせているように思えていました。しかし、ある時、私がした一つの行動ゆえに、トラブルが起こり、職場の先輩から叱責を受けるようなことがありました。

その時に自分から出てきた思いは、言われた通りやったのになんで私が怒られるか、自分はちゃんとやったのに、、、という思いだったことを恥ずかしながら思い出します。しかし、そのことを神様の前に祈る中で、行動だけ、言われたことだけやればいい、何かあっても責任は私にはない、そのような思いが隠れている愚かな私の自我があるように示され、祈り悔い改めました。

その後から指示を受ける、何か責任を受け持つ時には、なんでそれが必要か、それを自分のものとできるように、考え、学び、深めていくように努力しました。分からないことは、曖昧にしないで聞くようになりました。誰かから言われたからやっているのではなくて、自ら責任を持ってやっていくようになり、もっと仕事に一生懸命取り組めるように変わる良き学びの時となったことを感謝しています。

今日の箇所に戻りますが、ヨシュアは、モーセの言葉を自分も主から受け取ったものとしてはっきりと握っていたのだと思います。誰かから言われたことを自分も形だけ同じように行動するような答え方ではなくて、本当にそれを主の語りかけとして、自分自身が受け取ったのです。それゆえ主がモーセに命じたすべてのことばを、一言も取り除かず、妥協せず、全うできたのではないでしょうか。

ここに、真の忠実さを学びます。言われたことをチェックリストのようにただ行う忠実さではなくて、砕かれた心にみことばが刻まれ、その言葉そのものに生きる忠実さです。そしてそれが信仰生活なのです。原語をみると、忠実に歩むことは信仰そのものであることが分かります。

この、信仰は神のみことばを聞くことから始まります。

「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」(ローマ10:17)

私たちの信仰も、自分自身がキリストの言葉を正しく受け取ることが大切なのです。キリストの言葉が内に住まう時に、出て来る行いも変わってくるのです。真の忠実なしもべとなれるのです。

キリストの言葉から出ていないならば、生まれてくる行いは、見かけは同じであったとしても、最後まで信仰のレースを走っていけないでしょう。主のみこころを全うする前に倒れてしまうのではないでしょうか。

だからこそ日々神様の言葉をたたき続け、求め続けていくことを選び取っていきたいです。牧師先生、リーダー、親など、誰かから言われた語りかけを受け取ることで終わってしまうのではなくて、入り口はそれであったとしても、そのもっと深いところにある神の言葉を自ら求めていく者となりたいと願います。

■A:考えてみよう
・実際の任せられたことについて

ヨシュアに任せれた働きがあったように、私たちにも神様が今実際に任せてくださっている領域がそれぞれにあると思います。与えられたことに、文句や不満を言っていないでしょうか。また、任せられたことを手放してしまってはいないでしょうか。文句を言うより、誰かと比べるよりも、私自身に与えられたことを感謝する者でありたいなと思わされます。

下記のみことばを告白し、今主が任せてくださったものを正しく治め、主の実を結べるように祈っていきましょう。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(1ペテロ4:10)

・内なる領域について

自分自身の行いは何から生まれているでしょうか。キリストの言葉の種が植えられるならば必ずキリストの信仰を生きる者と変えられていく信じます!ですから、今日もマナメールを読んで終わってしまうのではなくて、聖書を開いていきましょう。そして耳と心が開かれて自分自身の内にみことばの種がまかれ、刻まれていくように聖霊様に求めてまいりましょう。

「だれでも神から生まれた者は、罪を犯しません。なぜなら、神の種がその人のうちにとどまっているからです。…そのことによって、神の子どもと悪魔の子どもとの区別がはっきりします。」(1ヨハネ3:9~10a)

「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。」(コロサイ2:7)

■P:祈り

愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

カテゴリー: マナメール

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