■S:今日の聖書の言葉
ナホム書3章1~4節
★ああ。流血の町。虚偽に満ち、略奪を事とし、強奪をやめない。むちの音。車輪の響き。駆ける馬。飛び走る戦車。
突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なすしかばね。数えきれない死体。
死体に人はつまずく。これは、すぐれて麗しい遊女、呪術を行う女の多くの淫行によるものだ。彼女はその淫行によって国々を、その魅力によって諸部族を売った。
コロサイ人への手紙4章5,6節
★外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります。
■O:今日のコラム
地味なナホム書ですが、ナホムが神のみことばを取り次いだ相手、預言を語った先はニネベという街に対してでした。これは、ヨナと同じです。ヨナ書の場合、ニネベの街の民は悔い改めて神に立ち返りましたが、ナホムが預言を語ったこの時にはニネベの街はもはや悔い改めることをせず、ついには神が語られた通りに完全な滅亡への一途をたどってしまいました。
ニネベの街に「おびただしい戦死者。山なすしかばね。数え切れない死体。」があふれた理由、それは何でしょう。その理由は次の節に書かれてあります。
「これは、すぐれて麗しい遊女、呪術を行う女の多くの淫行によるものだ。」
「遊女、多くの姦淫」とは霊的姦淫を意味します。神に対して誠実、純血であることを捨て、他の神々を求め、そのきよさを捨てた民の罪を示しています。また「呪術を行う女」とありますが、これは神へのそむき、不従順を意味します。
「まことに、そむくことは占いの罪」(第一サムエル1:23a)
ニネベの街にしかばねがあふれ、人々が死体につまずくほどに街が滅びへと向かった原因、それは、ニネベの街が、まことの神に従うことをせず、不従順を続け、きよさを捨てたゆえでした。
私はクリスチャンホームに育ちましたが、長い間、間違った伝道をしてきました。なんとか受け入れてもらえるようにと、私が語るのは甘い言葉ばかりだったように思います。「イエス様を信じたら、いいことがあるよ。」「ありのままでいいんだよ。」
これは半分は真実です。イエス様を信じたら、罪の奴隷から自由にされる素晴らしい人生が待っています!ありのままの私を愛してくださる方のもとで憩うことができます!けれども、これが全てではありません。上記の事柄しか聞かずに、イエス様を信じるならば、その人の中でイエス様はまるで都合の良い存在、小間使いのような存在となってしまうでしょう。
「自分の生き方を変える必要はなく、自分の人生が思うようになること、嫌なことがなくなることのために神が存在している。困った時にだけ、必死に祈って、困難がない平穏な時には好きなように生きていくので大丈夫。」という間違った理解のもとで信仰生活がスタートしてしまいます。
そのような理解の信仰であるなら、自分の思い通りにいかない時に、「ちゃんと毎週教会行ってるのに…願いが叶わない。聞いていたのと違う。こんな神様なら、いらない。不便で仕方ない。」と簡単に信仰を捨ててしまうでしょう。
「Cold Truth」という言葉をご存知でしょうか?真実はいつも甘く響くとは限りません。真実は時に冷たく、簡単には受け入れがたいものです。けれども、私たちには語らなければならない「冷たい真実」があることを忘れてはなりません。もちろん、伝道の一番はじめから、厳しい裁きの言葉を突きつけてしまうのは間違いでしょう。そんなことをしたら、人々には恐れしか起こらないでしょう。
けれども、伝道のはじめに語らなければならないこと、それは、「私たちが造られた存在であって、本来は神に従い生きていくように造られたのに、私たちは神を無視し自分勝手な歩みをしてきた」という真実です。
「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの、自分かってな道に向かって行った。」(イザヤ53:6a)
みことばで主はご自身のことを、このように語っておられます。
「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代も保ち、咎とそむきと罪を赦す者、罰すべき者は必ず罰して報いる者。父の咎は子に、子の子に、三代に、四代に。」(出エジプト34:6,7)
主は恵みを千代にも保たれる方であると同時に、罰すべき者は必ず罰して報いるお方であることを知る必要があるのです。
今日の箇所に「外部の人に対するあなたがたのことばが『塩味のきいたものであるように』」とあります。マタイの山上の垂訓で主イエス様は、私たちクリスチャンは「塩気」を保たなければならないことを語っておられます。塩は腐敗を止める役割があります。福音を伝えるチャンスがめぐるなら、相手が滅びの道から立ち返ることを助けるために、時には塩気の聞いたことばを語らなければならないことを、覚えましょう。腐敗を止めなくてはならないことを、覚えましょう。
今日の箇所にある「塩味」とは「話の中で現される知恵と恵み」という意味があります。クリスマスは伝道の機会が多い季節ですね。このシーズンに、私たちの思いと心、また舌がさらにきよめられ、神の恵みと知恵を、大胆に語ることができますように。
■A:考えてみよう
伝道の機会が巡ってきた時に、語る準備はできているだろうか?自分の中で福音は正しく理解されているだろうか?
何よりも、語らずにおれないような喜びが、主との交わりの中にあるだろうか?
■P:祈り
愛する天のお父様、私たちに御霊が与えれていることを感謝します。
聖霊様、歓迎します。今日もあなたが必要です。主イエス様の愛を語らずにおれないほどの喜びが、永遠のいのちへの水が私の内側にあふれますことを、切に願い求めます。
聖霊様が私の内に満ちてくださって、いのちの水の川が私から溢れ流れでますように。聖霊様に喜んで住まわっていただくために、主の宮である私自身の内側の汚れを捨てていきます。悔い改めによって、きよめられることを追い求めます。きよさを愛していきます。みことばを心に刻み、みことばに洗われて、生き方をもってキリストをあらわす者とさせてください。福音を安売りするのではなく、イエス様のいのちの代価の重みをしっかりと伝えることができますように。主がすべての主であることを語ることができますように。
何よりも、まず、私自身が今日、あなたが支払ってくださった代価を心から感謝し、あなたの愛を受け取ります!イエス様が愛をもって真理を語られたように、私自身が真理を語ることができますように。福音を恥じることがありませんように、力と愛と慎みの聖霊様、今日もあなたを歓迎します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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