■S:今日の聖書の言葉
ヨハネによる福音書14章15節
★もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。
■O:今日のコラム
決して忘れないで欲しいことや、非常に重要なことがある場合、私たちは何度も繰り返して語ります。同じように、聖書の中で繰り返し書かれていることがらは、神様からの重要なメッセージであることが分かります。
繰り返し書かれていることを、何度も読んでいるにも関わらず、講壇から何度も語られているにも関わらず、忘れてしまう弱さが私たちにはあります。ですから、繰り返し語られていることを、私たちは肝に命じ、心に深く彫り刻む必要があります。
今日の箇所、ヨハネの福音書14章で(たった一つの章の中で)イエス様が何度も繰り返し語られたことがあります。それは「神を愛するとは、神の戒めを守ることである。」ということです。今日の聖句の他に、イエス様は繰り返して、このことを語られました。
「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です。」(ヨハネ14:21a)
「イエスは彼に答えられた。『だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。』」(ヨハネ14:23a)
「わたしを愛さない人は、わたしのことばを守りません。」(ヨハネ14:24)
神様を愛するとは、何か感情的なものではありません。気ままなものでも、突発的なものでも、不安定なものでもありません。神を愛するとは、意志が伴うものあり、決心が必要です。神を愛する、それは神のみことばに従うことを意味します。
トーヴ・ミッションの子育ての学びで『従順になることの報いは、権威者からの保護と供給を得ることである』ということを学びました。子どもが親に従い、親の戒めの中にとどまる時、親の保護の中にとどまることができ、安全です。また、従順な者、聞き従う者には、さらに良い助言が与えたい、褒美を与えたいという心が親や権威者に起こります。
同じように、私たちが神の戒めを守るなら、私たちは神の保護と供給を得ることが出来ると信じます。それがすなわち、神を愛し、神の愛の中にとどまることではないかと思います。
神を愛する、すなわち、みことばに従順になるならば、私たちは神の愛(神の保護と供給)の中にとどまれるのだと信じます。主の愛の守りの中にとどまることができ、また、天からの報いがあると知るならば、神の命令を守ることは喜びとなるでしょう!
「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(第一ヨハネ5:3)
みことばを守ることを通して、主への愛を表そうとするならば、自分にはどれだけ出来るのだろうか、と途方に暮れます。弱い、罪深い自分には難しいと思います。けれども、私たちには助け主なる聖霊様が与えられました。
聖霊様は私たちが神のみことばに従い、神の御心に生きることが出来るように、助けて下さるお方です。今日も聖霊様を尊び、聖霊様の助けを得て、神のみことばに従って歩んでいきましょう。
■A:考えてみよう
イエス様を愛することには、もちろん、花婿を慕う花嫁の心、その情熱も含まれます。「愛する方のお心を喜ばせたい!」その情熱をもって、今日も神のみことばを愛し、そのみことばの通りに生きるものへと変えられていきましょう。
御霊の助けを求め、神へのみことばを守ることを通して、愛をあらわす者となることが出来ますように!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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