■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙 第一3章2節(エゼキエル書21章)
★ 私はあなたがたには乳を与えて、堅い食物を与えませんでした。あなたがたには、まだ無理だったからです。実は、今でもまだ無理なのです。
■O:今日のコラム
パウロは、コリント教会の人々に堅い食物を与えたくても、与えられなかったと行っています。
この前後を読むとそれは、深い真理を受け取るための人格が成長していなくて、霊的に幼い、という意味が一つにはあります。
彼らはまだ肉に属しているからとあります。原語に忠実な翻訳の聖書によると、肉に属している者とは、『肉の性質を持っていて、世の常のいろいろな衝動に支配されている者』という意味です。
私達は神の支配の中にあるものですが、世の中の様々な衝動に支配されているなら、神の支配にある神の子どもとは、誰にも見えません。
もし私が保育園にいて、保育園の先生が子どもたちに出す指示に自分も従い続けるなら、保育園児の様に見えるかもしれません(容姿は相当違いますが)、ある会社に訪問したとして、そこの部署の責任者の指示に従っているなら、そこの社員であるかのように見えるかもしれません。
世の衝動と神の意思が反するなら、神の意思に従い、世の衝動をしりぞける時、神の子どもとして見えるはずです。世の衝動をしりぞけ、神の意思で動きましょう!
もう一つ堅い食べ物を食べられるようになるポイントは、いつも良く噛んで食べることです。パウロがわざわざ食べ物にたとえたのは、意味があると思います。もちろん、その食べ物とは、天からのパン、みことばです。
深い真理の啓示を望んでおられるでしょうか?
人格が成長し、より神に属するものとなっていくなら、与えられるでしょう!
また、みことばを時間をかけて読むことも、大事なポイントです。
今日の通読箇所を一読して、啓示を受け取ったとしても、満足せず、最低これだけの時間はみことばに聞くという時間を持ちましょう!
私達の主との関係作りに大切なのは、祈りとみことばです。
祈りの時間の最低を決めておられる方は多いと思います。ぜひ、みことばの時間の最低を決めて(たまには守れない事もあるでしょうが)みましょう!
■A:考えてみよう
みことばに最低○○分(○○時間)は聞くと決める。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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