■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書18章18~20節
★まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。
まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。
ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」
■O:今日のコラム
二人が心を一つにして祈るなら、そこにイエス様もおられます。そしてイエス様のおられるところが神の家です。一人ひとりの聖徒も神の家ですが、こうして二人が心を合わせて祈るときそこは、より強い権威を持つ教会となります。教会は祈りの家です。
この三節は、主の御名によって闇を縛り、光を宣言する霊的な戦いの祈りです。その中で欠かすことができない祈りはとりなしの祈りです。
このマタイ18章自体の文脈をみると「自分自身が罪を悔い改めて神の国に入っていくこと」「兄弟が罪を犯したとき」とあっての、この3節です。そして最後は「心から兄弟の罪を赦しなさい」という結論に至っているのです。
私たちが共同体として祈りをする中で、兄弟の罪の赦しのためにとりなして祈ることは重要です。それは覆いとなっているリーダーがすべきものです。リーダーは、その罪を「私たちの罪」として十字架に持っていくことができるのです。
まず家庭から、そのとりなしがされていくべきです。私たち夫婦は毎朝、二人の子どものために祈ります。「私たち家族の心や言葉で犯した罪、あらゆるそむきの罪をイエス様の血潮で覆ってください。あわれんでください」と祈ることは、父母にふさわしいことです。そしてもちろん教会のためにも祈ります。
このようなとりなしは悪の力を打ち破り、神の勝利を見るために重要な祈りであると感じています。エペソ6章は霊的な戦いと神の武具を記していますが、その締めくくりはこうです。
「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)
■A:考えてみよう
二人がとりなすべき人々のために協力して祈るとき、そこにイエス様がおられ教会となります。家庭なら夫婦で祈ることを、短くでも良いのでお勧めします。
また教会でリーダーとサブリーダーなどで祈ることも良いでしょう。教会メンバー二人がその地域の解放のために祈ることはとても重要です。その地域のために祈るよう召されているのは、その地域教会だからです。哀歌にはこうあります。
「彼らは主に向かって心の底から叫んだ。シオンの娘の城壁よ。昼も夜も、川のように涙を流せ。ぼんやりしてはならない。目を閉じてはならない。夜の間、夜の見張りが立つころから、立って大声で叫び、あなたの心を水のように、主の前に注ぎ出せ。主に向かって手を差し上げ、あなたの幼子たちのために祈れ。彼らは、あらゆる街頭で、飢えのために弱り果てている。」(哀歌2:18~19)
■P:祈り
とりなしの長であられるイエス様の御名によって、とりなすことができることを感謝します。私たちの家庭のそむきの罪を覆ってください。その罪を十字架に持っていきます。またこの地域の民、その先祖3,4代に渡って犯し続けている背き、偶像礼拝、盗み、殺人、ののしり、姦淫の罪を覆ってください。あなたの十字架から流れる血は、全てのものを覆う神の力です。この地域を憐れんでください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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