■S:今日の聖書の言葉
士師記7章7節

★ そこで【主】はギデオンに仰せられた。 「手で水をなめた三百人で、 わたしはあなたがたを救い、 ミデヤン人をあなたの手に渡す。 残りの民はみな、 それぞれ自分の家に帰らせよ。 」

■O:今日のコラム
私たちは毎日、意外にも同じような事を繰り返し行っていることに気づいているでしょうか。みなさんも特に平日は朝起きて、家を出るまではほぼ同じような時間に同じような事を行っているのではないでしょうか。このような繰り返しの習慣が私たちを形作っていきます。
今日の聖書の箇所では、ギデオンの軍隊が形成される様が書かれています。13万5千人というおびただしい数の強いミデヤン人を倒したのはどれほどの大勢の軍隊だったかと想像しますが、それはたった300人の軍隊だったのです。普通に考えたら考えられない勝負ですが、主は弱いところに働いてくださいます。
では、この300人はどのような人が選ばれたのでしょうか。ここでは、主が2回に分けて軍隊をふるいにかけている様子がわかります。

(1)恐れおののくもの

今、 民に聞こえるように告げ、 『恐れ、 おののく者はみな帰りなさい。 ギルアデ山から離れなさい』と言え。 」すると、 民のうちから二万二千人が帰って行き、 一万人が残った。

(士師記7:3)
主はまず、恐れのある者を軍隊から外されます。黙示録21章8節にはこのように書かれています。
「しかし、 おくびょう者、 不信仰の者、 憎むべき者、 人を殺す者、 不品行の者、 魔術を行う者、 偶像を拝む者、 すべて偽りを言う者どもの受ける分は、 火と硫黄との燃える池の中にある。 これが第二の死である。 」
第二の死に定められる筆頭に来ているのがおくびょう者です。恐れを持ったものです。普通に考えても、恐れおののいている者が戦うことは出来ませんよね。私たちの信仰生活も霊的な戦いです。その戦いにおいて、敵に対して恐れを抱いていたのでは戦うことが出来ません。私たちがみことばにしっかりと立って祈る時、敵のほうが恐れおののいて去って行くことを知る必要があります。

「愛には恐れがありません。 全き愛は恐れを締め出します。 なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。 恐れる者の愛は、 全きものとなっていないのです。」

(第一ヨハネ4:18)
イエス様を通して、天の父からの愛を受けて、恐れを締め出し、主の兵士として選ばれるものになりましょう。

(2)水の飲み方
次に主が兵士を選ばれた方法は水の飲み方です。水の飲み方と戦いと、一見関係無いように見えるかもしれませんが、実は大きく関係しています。
戦いの最中は、一瞬の判断が命取りになり、自分だけでなく見方の軍隊に大きな影響を与えてしまいます。そこで試されるのは普段からの訓練の成果です。消防士の皆さんも、普段から何度も何度も訓練を繰り返していることで、どんな危険な状態からも人の命を救うことが出来ます。同じように、戦いの前からよく訓練されたものが実際の戦いで力を発揮できます。
荒野の中、戦いに出向いている中で水を見つけるというのは本当に嬉しい事で、ふと気が緩んでしまう時でしょう。そういう時こそ、普段の行動が出てきてしまいます。主はギデオンに水の飲み方でその習慣を見分けさせたのではないでしょうか。多くの兵士の中で、犬のように舌で水を舐めるもの、また、人を押しのけ我先にと水を飲もうとするものはここで不合格となりました。
私たちは、普段の生活の隅々まで主にご介入して頂いているでしょうか。ふとした時に出てくる口のことば、振る舞いにも塩味が効いているでしょうか。これは、即席につくり上げることが出来ません。常に自分の心を見張って、本当に日々の小さなことに忠実にならなければ形作られないものです。

「力の限り、 見張って、 あなたの心を見守れ。 いのちの泉はこれからわく。」

(箴言4:23)
また、水とは聖霊様の象徴でもあります。それを直接口で舐めるのではなく、手ですくって飲むとは、聖霊様に対して敬意を持って接しているかどうかということでもあります。

「わたしを信じる者は、 聖書が言っているとおりに、 その人の心の奥底から、 生ける水の川が流れ出るようになる。 」これは、 イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。」

(ヨハネの福音書7:38-39b)
私たちは、聖霊様をけがすことは赦されていません。
「しかし、 聖霊をけがす者はだれでも、 永遠に赦されず、 とこしえの罪に定められます。 」 (マルコ3:29)
日々の生活の中で、聖霊様に敬意を持って接しているでしょうか。瞬間、瞬間、神様と共に歩んでいるでしょうか。普段の生活の忠実な神への従順を続けていくなら、あなたは神の軍隊として招集されていくでしょう。そして、あなたの前に立ちはだかるおびただしいミデヤン人は、主の方法で打ち倒されていきます。

■A:考えてみよう
あなたは普段の生活で、どれほどの時間神様のことを考えていますか?聖書には次のようにあります。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、 感謝しなさい。 これが、 キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」

(1テサロニケ5:16-18)
「いつも」とはどれくらいの頻度でしょうか。ドイツのある医者はこれを研究し、10分ごとに感謝すれば「いつも」に該当するのではないかという研究の成果を発表したそうです。それを普段の生活に適応してみてはどうでしょうか。
私は教会の姉妹に習い、iPhoneのアプリで15分ごとにタイマーが鳴るようにしています。そして、タイマーが鳴るごとに「主よ!感謝します!あなたを褒め称えます!」と短く感謝と賛美を捧げています。それを続ける中で気付かされるのは、普段の生活でどれほど神様を忘れてしまっているかということです。
この方法は聖書に書かれているわけではないので、それぞれが吟味して受け取って欲しいのですが、試してみる価値は充分にあると思います。まずは3日間、何をしていても10分、もしくは15分ごとにタイマーをセットして、主に目を向けてみてください。もし可能であれば、1ヶ月ほど続けてみてください。そうするなら、あなたは意識しなくても主を見上げる習慣がつくのではないかと思います。
私も出来る限りチャレンジしていこうと思っています。共に主を見上げ、神が望まれることに応答していきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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