■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書12章7節

★イエスは言われた。「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、それを取っておこうとしていたのです。」

■O:今日のコラム
福音書を見ていると、イエス様が地上での生涯の中で、ベタニアという村を何度も訪れるのを見ることができます。イエス様にとって、マリヤ、マルタ、ラザロの3兄弟は特別な存在だったのだろうと感じます。

その中でも特に、皆さんも御存知の通り、マリヤはイエス様の心を喜ばせる者でした。ルカの福音書10章ではイエス様の話に聞き入っているマリヤのことをマルタがとがめますが、そんなマルタに対して、イエス様は、

「マルタ、 マルタ。 あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」(ルカ10:41-42)

と語られました。イエス様に愛されたこの3人ですが、イエス様が十字架に架られる前に、彼らはどのように過ごしていたでしょうか?

「人々はイエスのために、 そこに晩餐を用意した。 そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。」(ヨハネ12:2)

マルタはやはり、ここでも給仕をし、死から生き返らせてもらったラザロは他の人々の中に混じり、さほど特別なことは見受けられません。

話は飛びますが、今年、我が教会には赤ちゃんが沢山生まれました。みんな、とても可愛く、彼らの存在が教会にとっても大きな喜びであり、恵みです。赤ちゃんは当然ですが、時に泣いて色々と訴えます。お母さんたちはそれを見て、「ああ、眠いんだ」「お腹が空いてるんだな。おっぱいが欲しいんだな。」などと、すぐに予想することが出来ます。なぜなら、一日中赤ちゃんと一緒にいて、赤ちゃんがどの時間にどのくらい寝ているか、何時頃、どれくらいおっぱいを飲んだかなど、普段の様子のすべてを知っているからです。

どんなにベテランのお母さんでも、他人の赤ちゃんが泣いているその瞬間だけ見て、「眠いから泣いているのか」「疲れているのか」「抱き方が気に入らないのか」「具合が悪いのか」ということをすぐに見分けることは出来ません。その子とずっと一緒にいるその子のお母さんしか知り得ないことが多くあります。

ヨハネの12章に戻ります。イエス様がベタニアに来られた時、マルタは給仕し、ラザロは人々の中に混じり食卓に着いていましたが、マリヤは他の兄弟とは違って、非常に高価な香油をイエス様の足に塗り、それを髪の毛でぬぐいました。マリヤは3人の兄弟の中で唯一、イエス様の「葬りの日」、つまりやがてくる十字架を悟っていたのでした。

もっと言えば、イエス様は弟子たちにもやがて来る十字架を語りましたが、弟子たちでさえも悟ることが出来ていませんでした。そんな中で、イエス様の十字架を悟っていたのはマリヤでした。なぜ弟子ですら分かっていなかったことを彼女は悟ることが出来たのでしょうか?

それはマリヤがいつも主イエス様の足もとにとどまり、主の声に聞き入っていたからです(ルカ10:38)。彼女はいつもイエス様の御言葉を見つめていたのです。

赤ちゃんのことは、その子とずっと一緒にいてその子を見つめている母親にしか分からないように、御言葉も、見つめ続けることなしには、悟れないことが沢山あります。先週の礼拝では「御言葉を何度も朗読し、そのことが信仰に結びつくまで御言葉を宣言し続けましょう。」とチャレンジがありました。

御言葉はただの知識や歴史、より快適な生き方をするための教訓、イイ話、「読まなければいけない」という宗教からの宿題ではありません。私たちは日々御言葉を共に読んでいますが、そこから、気づきや悟りが与えられているでしょうか?読んだ御言葉が私たちのいのちとなっているでしょうか?イエス様は言われました。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。」(ヨハネ14:6a)

御言葉を読む時に、そこにこそ自分の歩むべき道、進むべき道があることを見つけ、悟り始めます。けれども、そこで満足するのではなく、御言葉を更に見つめ続ける時に、そこに隠されている奥義、真理を見出し、その真理に感動します。真理を悟る時に、宝を見つけた喜びが来て、心が震えます。

しかし、そこから更に続けて御言葉を諦めることなく握り見つめ続ける時に、御言葉自身が自分の内にいのちとなって刻まれていくのを体験するでしょう。そのようにして、御言葉を見つめ続ける時に、御言葉が私たちの信仰と結びつき、御言葉が私たちの血となり肉となり、まさに歩く御言葉であったイエス様の似姿へと造り変えられていくと信じます。

また、イエス様の声に聞き入っていたマリヤだけがイエス様の十字架を悟ることが出来、それに備えることが出来たのと同じように、御言葉を愛し、愛する方を見つめるようにして御言葉を慕う者にだけ、本当に大切なことが明かされていくと信じます。

■A:考えてみよう
日々読む御言葉の中に歩むべき道を見出しているだろうか?そこに隠された真理(宝)を見つけているだろうか?その御言葉が自分の血となり肉となっているだろうか?

デボーションガイドはこれを書く者たちが見つけた宝であります。書き手が今日、出会った主の姿を分かち合っているに過ぎません。今日も皆さんお一人おひとりが御言葉を開き、そこで主と出会うことが出来ますことを祝福します!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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