■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書16章12節

★彼らはようやく、イエスが気をつけよと言われたのは、パン種のことではなくて、パリサイ人やサドカイ人たちの教えのことであることを悟った。

■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!

福音書を読んでいると、イエス様の問いに対する弟子たちのトンチンカンな答え、また、思わず突っ込みたくなるようなやり取りがたくさん書かれています。

12節の前を読むと「また弟子たちがわけのわからないこと言っている」と思います。ですが、私たちはある意味においてこの弟子たちと同じではないでしょうか?

弟子たちは、「ようやく」悟ったのです。「ようやく」とは、非常に長い期間の後にという意です。

私たちも本来イエス様が言っておられること、御言葉を表面的に、自分に都合の良いように解釈したり、メッセージでこう言われていた!など、さまざまな理由で御言葉を御言葉として理解していなかったり、悟れていないことがあるのではないかと思います。

御言葉は私たちが思う以上に深く、一生かけても知り尽くすことの出来ないものです。

私自身の話しになりますが、最近、御言葉の多読、ヘブル的解釈で御言葉を読む「トダーの生活」、詩篇を音読しひれ伏して祈ることなどを通して自分自身が御言葉を御言葉としていなかったこと、御言葉を何一つ悟れていないこと、御言葉に従えていない現実を「ようやく」知りました。

また、御言葉が、聖書が、今私の手元にあることはあり得ないことであること、御言葉に対する恐れがないことを最近「ようやく」悟りました。

私たちは「主を愛します!」と軽々しく口にします。私自身も何度もその告白をして来ました。

「神を愛するとは、神の命令を守ることです。その命令は重荷とはなりません。」(1ヨハネ5:3)

神を愛するならば、御言葉を、神の戒め、命令を守るんです。守れていないのにどうして神を愛すると言えるでしょうか?本来ならば軽々しく言えないことです。

御言葉に従えない自分、従いたいけどそれを嫌がる自分、このギャップがあることが本当に悲しく、泣けて来ます。この御言葉を御言葉としていないこと、命令に従えていないことを私たちは嘆かなければなりません。ですが、残念なことに私たちの心は直りません。

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」(エレミヤ17:9)

ではどうしたら良いのでしょうか?だからこそ、憐れみ深い神様に向かって祈るのです!

「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、
また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1:17~19)

「その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。」(イザヤ11:2)

「すると彼は、私に答えてこう言った。「これは、ゼルバベルへの主のことばだ。『権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって』と万軍の主は仰せられる。」 (ゼカリヤ4:6)

御霊によってのみ、私たちは御言葉を悟り、御言葉を行うことが出来ます。ただ、御霊により頼むしか他にありません。

「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。」(ヨハネ14:15~17)

私たちの内に助け主なる聖霊様がいてくださることを心から感謝します!!

「どんなにか私は、あなたのみおしえを愛していることでしょう。これが一日中、私の思いとなっています。」(詩篇119:97)

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。 」(詩篇119:130)

詩篇119篇の作者が御言葉を、神の仰せを愛し、行うことを願い求めて来たように私たちもその飢え渇きが与えられ、御言葉の本質を少しずつ、御言葉と祈りによって私たちも悟りがない者ではなく、悟る者となっていくことが出来ますように!

「ようやく」であったとしても、長い時間がかかったとしても、悟った者勝ちなのです!

■A:考えてみよう
私たちの目に御言葉に対する覆いがあること、悟りがないことを認め、助け主なるお方に御言葉を御言葉として悟ることが出来るように祈りましょう。

また、神の言葉、御言葉、神の命令に従うことが出来るように自分の心が造り変えられ、行いが変えられていくように祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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