■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書1章17節

★それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

■O:今日のコラム
みなさん、系図で啓示を受けたことがあるでしょうか。私は昨日の朝に、このつらつらと書かれている名前の文から、主の語りかけを感じました。そう、夢の中で主が見せてくださったのです。

ところで、目に必要なものとはなんでしょうか?まぶた、そしてまつ毛でありますよね。それは当然です。主はこのように語りかけてくださいました。イエスキリストは目であると。彼が何を見ているのか、また、かかせない目の部分であると。

しかし、その目にも必要なものがあります。それがまぶたであり、まつ毛です。それらは、目としての本質の機能の中心ではありませんが、目を守るためにあるものですよね。

なぜマタイ1章の初めに系図が出てくるのか。もちろんキリストは神であられるので、守られる必要はありません。しかし、人間の姿をとってこの地に100%人として来られたことも確かであります。人間として来られた。神であられるのに。それなので、イエスキリストにもルーツが必要でした。

私たち異邦人にとっては何も疑いなく読む1章ですが、ユダヤ人がこの系図をみたら、どう感じるのでしょうか。きっと目が開かれると思います。事実、そのような事が起こっているのです。

私たちも異邦人でありながら、イエスキリストの証人として、天の書に名前が記されていることを感謝します。

ヘブル12章1節にこのように書いてあります。

「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」

さらに、

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。」(ヘブル12:2)

この箇所には明確に書かれています。信仰の創始者であり完成者である方、イエス様。これは変わらない中心、つまり目でありますが、その前の箇所では、多くの証人が取り巻いてくださっているとあります。

なぜ、証人が必要なのでしょうか。聖書は忍耐をもって走り続けることができるように、と言っています。イエス様を目標としていますが、イエスキリストの前の系図にいた人々は、イエス様に対する証人でありました。アブラハム、イサク、ヤコブ。信仰の人々がイエス様と、そして私たちの証人であるのです。本当に感謝なことです。

■A:考えてみよう
なぜ多くの証人が雲のように取り巻いているのですか?忍耐をもって競争を走るためであるからです。

信仰の先輩方も、信仰の創始者、完成者なる方を目指して走っていました。私たちも中心なるイエス様を目指していきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あはごん 】

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