■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第一3章15節

★それは、たとい私がおそくなった場合でも、神の家でどのように行動すべきかを、あなたが知っておくためです。神の家とは生ける神の教会のことであり、その教会は、真理の柱また土台です。

■O:今日のコラム
旧約聖書においてヤコブは、開かれた天の窓を見、御使いたちが天と地を上り下りする情景を見た時、彼はその場所をベテル、すなわち神の家と名付けました。今日の箇所でパウロは、教会は神の家であると言っています。つまり教会はベテルであり、絶えず天の窓が開かれ御使いたちが上り下りする場所なのです。

主イエスは神の国を追い求めていたナタナエルに対してこの様に言われました。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます。」(ヨハネ1:51)

教会の頭は主イエスであられるので、この御言葉は教会に対して語られている約束としても受け取ることが出来ます。一つの地域に、一つでも教会が存在していることは霊の目が開かれて見る時に偉大なことだと分かります。なぜならその教会を通して、その地に神の国の扉が開かれるからです。

では、教会が開かれた天のもとでベテルとなるための重要なポイントが今日の御言葉の中に記されています。まず「神の家とは生ける神の教会」とパウロは言っています。つまり、神が生きて働かれる場所、それがベテルとなった教会です。

なぜ教会は祈ることが必要なのでしょうか?なぜ心を注いで礼拝することが大切なのでしょうか?それは祈り礼拝することは神との生きた関係を持つことであり、祈りと礼拝が教会の中で続けて行われる時、主ご自身が教会の中に御座を設けられ、我らの礼拝の中を歩んでくださることを経験する様になります。主が生きて働かれるので、礼拝の中に豊かな臨在が臨み、同時に癒やし、解放、自由、喜びが解き放たれるのです。

またパウロは「教会は真理の柱また土台です。」と言っています。なぜ教会は御言葉を朗読し、御言葉に従って生きることが必要なのでしょうか?なぜならその御言葉の歩みを通して、真理の柱が建て上げられていくからです。御使いは神の御言葉に従うことにだけ仕える権限を得ます。神の真理から離れたところで御使いは働くことが出来ません。

「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。」(ヘブル1:14)

「やめなさい。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書のことばを堅く守る人々と同じしもべです。神を拝みなさい。」(黙示録22:9)

御使いは神の御言葉に仕えること以外、または真理に従うこと以外は行えません。つまり教会が、そして聖徒たちが主の真理の御言葉を愛し、その御言葉に従い歩む時、そこには天と地を繋ぐ真理の柱が真理の土台のもとに建てられ、そこを御使いたちが上り下りし、神の国の栄光と、天の超自然的な現れを運び、教会に遣わされて来るのです。

■A:考えてみよう
今日、私たちのそれぞれが属する神の教会が、神の家、ベテルとして絶えず開かれた天の窓の元で歩むことが出来る様に、とりなし祈りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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