■S:今日の聖書の言葉
雅歌5章6節
★私が、愛する方のために戸をあけると、愛する方は、背を向けて去って行きました。あの方のことばで、私は気を失いました。私が捜しても、あの方は見あたりませんでした。私が呼んでも、答えはありませんでした。
■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!みこころが天で行われるように地でもなされますように!
今日の雅歌5章のあらすじをまとめるのであれば、戸を開けて欲しいと言われ→あれこれ理由を言うけれど、いざ戸を開けてみたら去っていかれ→探しても見つからず→周りから色々言われて→花嫁のスイッチオン!
私たちの常識や知識で考えるのであれば「ん?開けてと言われて、戸を開けたのに去っていくの?!」となるのではないでしょうか?
このようなことが私たちの信仰生活の歩みにもあるのではないでしょうか?みことばに従ったはず、祈って約束を受け取って導かれ、進んでいったはず…なのに思っていたことと正反対のことが起こったり、理解しがたいことが目の前に起こる、、、そのような経験はないでしょうか?
そんな時、神ご自身に失望したり、私たちの内で何か言葉にならないけれども何かが崩れ落ちていくような気がします。「みこころ」というものが何か分からなくなります。
そのような時、私たちの心の態度は大きく2つに分かれると思います。
1「なんでこんなことが起こるんですか!!!それでもあなたはわたしの天の父なんですか?!」という反応的な態度。
2「みこころのままになりますように。あなたがわたしの神であり、主ですから、あなたに明け渡します」という態度。
みことばにはこのようにあります。
「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。・・主の御告げ。・・」(イザヤ55:8)
「しかし、主よ。今、あなたは私たちの父です。私たちは粘土で、あなたは私たちの陶器師です。私たちはみな、あなたの手で造られたものです。」(イザヤ64:8)
イエスは答えられた。「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。(マルコ12:29)
「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(黙示録4:11)
私たち人間の思いや考えにまさって、神さまは偉大で、測りきれないお方であり、知り尽くすことも、理解し尽くすことも出来ないお方です。全ての万物を創造され、治めておられるお方、私たちは陶器師に造られた被造物です。神は神であり、唯一なので、私たちの目の前に起こることがたとえ理解出来なかったとしても、全てが神の御手の中なので、私たちが理解する必要もないのです。
ただ、イエスキリストに信頼する。神は絶えず愛に満ちたお方であり、良いお方であると信じる、信じ切ることです。
私自身が前者のような心の態度を持ち続けた者です。神に対してたくさん文句を言い、神ご自身に失望し、全てのことがもうどうでもいい!と思って生きてきました。もちろん先ほどのみことばは知っていました。しかし、みことばよりも私が思う正論の方がまさっていました。これは結局「自己中心、自分が王座を占めている状態」=「罪」です。
そんな渦中にいる時、バジレア・シュリンクの本を読みました。彼女が天に召される最後に祈った祈りの中の一文の中に「いっさい『なぜ?』と問わず、あなたに委ねきった心を与えてください」と書かれていました。「なぜ?」と問わない、委ね切った心です。これは神に信頼し切っていないと出来ない告白ではないでしょうか?
「何が起こるかを知っている者はいない。いつ起こるかをだれも告げることはできない。」(伝道者8:7)
この人生を歩む中、分からないことだらけです。「なぜですか?」と問いたくなることだらけです。それでもなお、唯一の望み、イエスキリストに希望を置き続けたいと願います!!
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。」(ガラテヤ2:20)
「神の御子を信じる信仰」を別訳で見ると「イエスキリストの信仰」とも訳されてるそうです。私の中に希望を見出そうとするのであれば、何一つないでしょう。ただただ落ち込むだけです。
しかし、私の内にキリストが生きておられるので、キリストに望みを置き、このお方を信じるのであれば私たちはたとえどれだけ沈んでいたとしてもイエスキリストの信仰ゆえに、また立ち上がり、歩んでいくことが出来ます!
このイエスキリストの信仰によって、私自身、「なぜですか?」と問わない委ね切った心が与えられることを切に願います!
■A:考えてみよう
「なぜですか?」ではなく、「みこころがなりますように」と、自分の願いや計画を唯一の主権者なるお方、唯一の神に明け渡して祈ることが出来ますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まな 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。