■S:今日の聖書の言葉
2コリント2章 10〜11節 (伝道者の書2章)
★もしあなたがたが人を赦すなら、私もその人を赦します。私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、あなたがたのために、キリストの御前で赦したのです。これは、私たちがサタンに欺かれないためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
■O:今日のコラム
赦さない心を持つことは、私たちの内にサタンに対して足場を作り、暗闇の力が要塞を築き上げるきっかけとなります。しかし、いきなり要塞が出来るわけでは無く、赦さない思いや苦味、傷や怒りを持ち続けることを通して絶えず悪魔に対して門を開いた状態となり、要塞が築きあげられて行きます。
悪魔にはベルゼブルと言う名がありその意味は「ハエの王」です。ハエがゴミや死体のある場所に集まる様に、悪魔は私たちの内にある赦さない思いや怒りの中に巣を作るのです。
今日の箇所でパウロは人を赦すこととサタンの策略に欺かれ無いことを合わせて書いています。赦すことは心の中に溜まったゴミを捨て、サタンの足場を取り除く作業です。
赦すこととは相手に対して怒り、罪に定め、訴えると言う権利を手放すことであり、これは主イエスの十字架の恵みと御霊の助け無くしては出来ないことです。
赦しはまず、赦すことが出来ない自分自身の頑固さや、肉と罪の性質を正直に主の御前で告白することから始まります。
「主よ。私はあの人に対して傷つき、怒りと赦せない思いがあります。赦すことは大切だと知っていますが、私の内にはその力が無いことを認めます。私自身のこの肉と罪の性質を赦し、主イエスの血潮により洗い、聖めて下さい。」と祈る時、主イエスの恵みとあわれみによって超自然的な赦しの力が私たちの内に臨むのです。
また赦すとは一度怒りを手放し解放されると同時に、継続して行うことでもあります。昨日赦しの祈りをして心に解放を経験しても、今日また怒りと悪感情が湧いてくる場合があります。その時は続けて赦しを宣言し、その相手を主イエスの御名によって祝福して祈ることが必要です。
赦すとは「許可する」と言う意味でもあります。つまり相手が主により祝福され、使命の中に生き、神の計画がその相手の内に回復することを許可することでもあります。赦しの祈りとは相手に対するとりなしの祈りであり、祭司のつとめを私たちがすることです。
この赦しの祈りを持って生きる時、私たちの内に「主イエスの心」と言う計り知れない宝が与えられることとなります。
主イエスの十字架の元で血潮の力を受け、赦しの祈りによりサタンの策略と要塞を打ち破りましょう。
「私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力のあるものです。」(2コリント10:4)
■A:考えてみよう
今日、赦しの祈りを具体的に祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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