■S:今日の聖書の言葉
エズラ10章1節
★エズラが神の宮の前でひれ伏し、涙ながらに祈って告白しているとき、イスラエルのうちから男や女や子どもの大集団が彼のところに集まって来て、民は激しく涙を流して泣いた。
■O:今日のコラム
エズラ記9章の中でエズラはイスラエルのリーダーたちが異邦の民と結婚し、異教の文化を取り入れ、神に不信の罪を犯している事実を目の当たりにし、あまりにもの心の痛みに色を失い呆然としました。
しかし、彼が気を取り戻した時、エズラはひざまずいて主の御前に祈り、彼はイスラエルの為に自らが悔い改めとりなしをしました。エズラの悔い改めの祈りは人々へと広がっていき、10章において国家的な悔い改めとなり、人々はその悔い改めに伴う行動を実行していきました。
このエズラの記事を通しても、私たちの内に神の宮、主が統治されるエルサレムが建て上げられ、主の計画が回復する為に悔い改めは絶対に欠かすことの出来ない重要な祈りであると理解することが出来ます。
モーセ、ダニエル、エズラ・・・他にも旧約聖書でイスラエルをとりなした者たちの祈りには共通したテーマがあります。それは「主の御声に聞き従わなかった。」ということに対する悔い改めです。
聖書全般を通して全ての堕落と崩壊、のろいと悲劇は主の御言葉に聞き従わないことから始まります。アダムは妻の声に聞き従い、エバはへびの声に聞き従いました。
またトーラー(律法)には祝福とのろいが明確に分けて記されていますが、全ての祝福は主の御声に聞き従うことからはじまり(申命記28:1-2参照)、全てののろいは主の御声に聞き従わないことからはじまります(申命記28:15参照)。
私たちが個人的な悔い改めをもって、主の御声に聞き従って来なかった歩みを告白して祈る時、私たちの内に主との生きた関係が回復していき、その祈りは家族、教会、国家に対するとりなしの祈りとなっていくでしょう。
私と私の家族、そして教会、さらに日本の国が主の御声を聞いて、神が約束された祝福の道を歩むことが出来るように、全ての聖徒たちのとりなしの長であられる主イエス・キリストの御名によって祈りましょう。
■A:考えてみよう
心の耳が開かれ、主の御声を聞き、主の御言葉に従うことが出来るように、私たちの耳に主イエスの血潮の力を宣言し、聖霊様の助けを求めて日々祈りましょう。
また、主の聖さを受けて、家族、教会、国家をとりなし祈る者となりましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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