■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二13章1節
★ヤロブアム王の第十八年に、アビヤはユダの王となり、
■O:今日のコラム
「レハブアムとヤロブアムとの間には一生の間争いがあった」(Ⅰ列王記15:6)とありますが、その対立関係はレハブアムの子アビヤにも引き継がれます。
父レハブアムが死に、息子アビヤが王となるときに本格的な戦争が始まりました。「アビヤ」の名前は、「主はわが父」を意味します。この名前の意味からして、彼はきっと素晴らしい王なのだろう、と想像できます。
父から王権を受けた若きアビヤはどのような業績をおさめたのでしょうか。
「…ユダの人々がときの声をあげたとき、神はヤロブアムと全イスラエルを、アビヤとユダの前に打ち破られた。」(Ⅱ歴代誌13:15)
父には成し遂げることのできなかった、イスラエルを征服するという勝利を収めました。このように、彼の成功、働き、偉大な勝利を見るならば、アビヤはやっぱり素晴らしい王である、と誰もが認めることでしょう。
しかし、列王記を見ると、アビヤについてこのように書かれています。
「彼(アビヤ)は父がかつて犯したすべての罪を行い、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」(Ⅰ列王記15:3)
列王記によれば、彼は「悪王」の評価です。人の目には立派な働き、成功、偉大な勝利のように見えても、「主と全く一つにはなっていない」ということがありうるのです。それはとても恐ろしいことです。
「その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ。主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇跡をたくさん行ったではありませんか。』しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』」(マタイ7:22-23)
主は、私たちがどのような立派な働きをしたか、人に認められる成功を治めたか、ということにはあまり興味がないのです。
「…人はうわべを見るが、主は心を見る。」(1サムエル16:7)
しかし、実際には大ぜいの者たちが、目に見える成功によって「主に受け入れられている」、「主から承認されている」という錯覚をしてしまっているのです。
歴代誌にアビヤの評価は明確に記されていませんが、彼のした宣戦布告の内容(Ⅱ歴代誌13:4-12)を読むなら、皆、明らかな違和感を感じると思います。アビヤの語る言葉には力があり、言っていることは真実です。そのほとんどが信仰の宣言です。
「主が私たちの神である。…」(10節)
「私たちは、私たちの神、主の戒めを守っている。…」(11節)
「見よ。神は私たちとともにいて、かしらとなっておられる。…」(12節)
ですが、彼が語る言葉の端々から、彼のうちにあるもの、人格、人柄、父を敬わない心というものが見えてきます。表面的には素晴らしく映っていたとしても、その人が語る言葉、また態度は、心にあるものを明らかにするのです。
「しかし、口から出るものは、心から出て来ます。…」(マタイ15:18)
私たちの何気ない会話、また、私自身も毎回注意していますが、実はこのマナメールの記事からも、執筆者の内なるものが現されてしまうのです。どんなに正しいことを書いていても、内容や言葉以上にその人の人格が残るものです。だからこそ私たちは、何を書くか、どんな立派な事を語るか以上に、日々、御霊と水、そして悔い改めと血潮をもって祈り、内側がきよめらることを願っています。
どんな大きな事を成し遂げたとしても、「あなたの働きはすごいね」と言われてはなりません。私たちを通して、人々の心に残るものがイエス様だけでありますように。
結局、アビヤは、誰もが成功したように見えましたが、その戦いで得た領地はほんのわずかなものでした。また、勝利して勝ち取った町々は、やがては、再び北イスラエルにすべて取り戻されてしまいます。結局何も残らなかったのです。何のための戦いだったのでしょうか。
このように、私たちがきよめられることなく勝ち得たものは、すべて消え去っていくのです。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ40:8)
■A:考えてみよう
信仰の告白、宣言はとても大切です。毎日、「私の主人はイエス様です。」「私のかしらはイエス様です」と告白していきましょう。
しかしながら、それと同じくらい、いや、それ以上に重要なのは、イエス様が主人となった「生き方」をしていくことです。
アビヤの意味は、「主はわが父」でしたが、結局彼はそのような生き方をして来ませんでした。それゆえ、「主と全く一つにはなっていなかった。」のです。
内側がきよめられる時に、私たちの思い、考え、生き方は主と一つとなっていきます。そのような人は、主のためになすこと全てにおいて、主だけが残ってくださるでしょう。
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(Ⅱ歴代誌16:9)
それですので、毎日、以下の事を点検しましょう。
・私たちの口の告白と行いが一つとなっているか。
・みことばと歩みが一致しているか。
・心に刻んだみことばが、実際の生活の中で豊かに実を結んでいるか。
もしもこれらの事ができていないと示されたなら、その都度、悔い改めと血潮の宣言をもって内側のきよさを求めていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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