■S:今日の聖書の言葉
Ⅱ列王記6章22~23節
★エリシャは言った。「打ってはなりません。あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。彼らにパンと水をあてがい、飲み食いさせて、彼らの主君のもとに行かせなさい。」そこで、王は彼らのために盛大なもてなしをして、彼らに飲み食いをさせて後、彼らを帰した。こうして彼らは自分たちの主君のもとに戻って行った。それからはアラムの略奪隊は、二度とイスラエルの地に侵入して来なかった。
■O:今日のコラム
ハレルヤ!主の道、主の方法はいつも私たちの想像を超えています!今日もその中を歩んでいきましょう!
この箇所のストーリーをまとめます。
まず、敵国アラムの王がイスラエルを攻撃するプランを立てるのですが、エリシャは神様からそのプランを語られます。エリシャがイスラエルの王に告げると、イスラエルの王はそのプランが阻止されるように動きました。このことが1回だけでなく何回も起こっていたので、アラムの王は怒り、自分の家来の中に自分のプランをイスラエルに密告している者がいると勘違いします。しかし、家来たちは、自分たちではなくイスラエルにいる預言者エリシャという者がイスラエルの王に告げていると答えます。
そこで、アラムの王は自分の軍隊をエリシャのいる町に送り、その町を包囲して攻め取ろうとしますが、エリシャは主の軍隊が彼らを包囲しているのを見て主に祈ります。「彼らを盲目にしてください」と。盲目になったアラムの軍隊はイスラエルの王の前に連れて行かれます。そして、エリシャが「アラム軍の目を開いてください」と祈ると、彼らの目が開かれました。
彼らはイスラエルの王の前に立たされていることに気が付き、自分たちにはもう命がないと思ったことでしょう。イスラエルの王がエリシャに「私がこの軍を打ち殺しましょうか」と聞くと、エリシャはこのように答えました。それが今日の御言葉です。
「打ってはなりません!!」これにはイスラエルの王も、聞いてた皆も驚いたでしょう。さらに、エリシャは、「彼らにパンと水を与え、彼らを帰らせなさい!」とまで言われたので、ますます驚いたと思います。「私たちの命を狙って攻撃してきた人たちを生かして、しまいには、水とパンまで与えて敵国に戻すなんてエリシャは頭はどうかしている。もし、このまま帰らせたら、また攻撃してくるに違いない。この場所でアラム軍を殺したら、アラム王を思い知らせることができる。イスラエルは強いんだぞ!」と考えたのではないでしょうか。
しかし、エリシャは神様の御言葉をよく知り、また神様を知っている預言者だったので、復讐することは自分たちがすることではないことを知っていました。エリシャはイスラエルの王に「あなたは自分の剣と弓でとりこにした者を打ち殺しますか。」という質問をしますが、私は、これは質問というよりは、彼に悟りを与えるために言った言葉だと思います。言い換えると「あなたは自分の手ではなく、神様が事を行って捕らえたこの人々を自分の判断で自分の手で彼らを殺そうというのか。」ということだと私は読み取ります。神様がなさったことなのに自分の方法でそれを終わらせることは、主の計画、主のみこころを阻止していることになります。
モーセ五書(トーラー)にはこのような神様のことばがあります。
「復讐と報いとははわたしのもの、…」(申命記32:35a)
ソロモンの書いた箴言にも、このような御言葉があります。
「もしあなたを憎む者が飢えているなら、パンを食べさせ、渇いているなら、水を飲ませよ。あなたはこうして彼の頭に燃える炭火を積むことになり、主があなたに報いてくださる。」(箴言25:21~22)
エリシャは神様のみこころを知っていましたし、神様のことばを心に刻んでいた人でしょう。なので、彼はアラム軍を殺さず、逆に彼らに良くしてあげて、彼らを自分の国に帰らせました。
そして、このことにより主がイスラエルを報いてくださったのです!今日の御言葉にあるように、このことが起こって以来、アラムはイスラエルの地に侵入しなくなりました。自分の家来が一人も残らず殺されずに戻ってきた姿を見て、アラムの王は思い知らされたのでしょう。この国には、人間では到底出来ないことをする力が働いていると。
私たちが不当な扱いを受けても、私たちがそれに対して自分の手で復讐するのでなく、主のことばに聞き従い、祝福することを選ぶのであれば、主は私たちに報いてくださいます。山上の垂訓にもある通りです。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈ること。そのことによって、敵、または迫害してくる者が自分に対して良い態度をとるようになるかどうか、またその人が変わるかは主の御手の中なので分かりませんが、一つのことは確信して言えます。それは、主が私たちに報いてくださるということです。
その報いは、もしかしたらすぐに見えないかもしれないですし、この地上で受けるものでないかもしれません。しかし、報いは必ずあるのです。私たちが主の前に立つその日、主はこのように言ってくださるでしょう。
「あの時、よくあなたは、わたしのことばに信頼し、不正を行う者に対して自分の口や手で復讐しないで、わたしに委ね、祝福することを選んだ。よくやった、わたしの愛する者よ。」
パウロは、箴言25章を引用して、ローマ人への手紙12:19~21で聖徒たちをこのように励ましています。
「愛する人たち。自分で復讐してはいけません。神の怒りに任せなさい。それは、こう書いてあるからです。『復讐はわたしのすることである。わたしが報いをする、と主は言われる。』もしあなたの敵が飢えたなら、彼に食べさせなさい。渇いたら、飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃える炭火を積むことになるのです。悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」
■A:考えてみよう
今日、自分が関わる人々を祝福し、その中で不当な扱いを受けたとしても、主を信頼し、主により頼み、祝福を解き放っていきましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 かよ 】
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