■S:今日の聖書の言葉
Ⅰコリント11章31~32節
★しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。しかし、私たちがさばかれるのは、主によって懲らしめられるのであって、それは、私たちが、この世とともに罪に定められることのないためです。
■O:今日のコラム
バジレア・シュリンクの「主の似姿に変えられたいあなたに」という素晴らしい著書があります。その本の中に記されている一文を紹介いたします。
「神の聖性にあずかり、古い人を死に引き渡して新しい人が完全に成長するためには、このことが必要である、と御言葉にはっきり示されています。それは神の懲らしめを受けることです。神の懲らしめによって、生まれながらの欲望が衰えていきます。たとえば、わたしたちがある人に執着しているならば、その人に何度も失望させられるという試練を神はお許しになることがあるのです。それによって、わたしたちをその束縛から解放しようとしておられます。
さまざまな懲らしめを進んで受け入れる者には、それらが罪の縄目から逃れる助けとなるのです。更に、もし懲らしめを通して性格上の弱点や執着心が十字架につけられ、葬り去られるならば、神の霊が流れ込み、イエスに対する愛がますます心を満たすようになります。そして、イエスにある喜びも増し加えられ、神の懲らしめを感謝することでしょう。神の懲らしめは生まれながらの人を死に渡し、霊の人の命を生き生きとさせるからです。」
人生に起こる様々な出来事は、私たちの古い人が十字架につけられる為の最良の機会となります。人間関係の問題が起こる時、人を訴え罪に定める前に、自分の心をチェックする機会としましょう。「主よ。悔い改めるべきは私です。私の内にある自己中心と怒りの性質を正しく裁き、取り除き、赦し、聖め、義の道へと導いて下さい。」と祈る時、主イエスの血潮は私たちを聖め、御霊なる主が私たちを導き、内なる人がキリストの似姿へと日々新たにされていくのです。
愛に満ちた天の父の懲らしめを喜んで受けることが出来る、従順な神の子となることを共に目指していきましょう。
■A:考えてみよう
以下の御言葉を朗読し、主の懲らしめを喜びとし、悔い改めの祈りをしましょう。
「『わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。』訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。もしあなたがたが、だれでも受ける懲らしめを受けていないとすれば、私生子であって、ほんとうの子ではないのです。」(ヘブル12:5~8)
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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バ「ジ」レア・シュリンクの間違いでは?
https://ja.wikipedia.org/wiki/バジレア・シュリンク
ご指摘ありがとうございました。修正いたしました。