■S:今日の聖書の言葉

ローマ人への手紙12章1節(エレミヤ書45章)

★ そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。

■O:今日のコラム

楽して体を鍛えるという事が出来ないのと同じように、犠牲なしに礼拝を捧げるという事は出来ません。

私はダビデが「犠牲を支払わないで、私の神にいけにえを捧げたくありません。」と言った言葉と、その心の姿勢が本当に大好きです。礼拝には犠牲を支払う必要があります。

今日の箇所でパウロは「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。」と言っています。

旧約聖書の律法においても、すでに死んでいる動物を主の祭壇に捧げる事は出来ませんでした。

主に捧げられるものは生きた供え物でなければいけません。つまり今日の私が主の御前に必要なのです。

かつて主の前に献身の決心をし、数日前に賛美し、おととい御言葉を読み、昨日祈りの時間を持ったかもしれません。それらは全て素晴らしい歩みですが、主の御前にはかつてした事以上に、今日私達が決心する事が必要です。

イエス様は「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(ルカの福音書9章23節)と言われています。

ここで主が「日々」と言われている事に注目しましょう。私達は日々新しく主に身を捧げて生きて行く必要があります。

昨日の賛美、祈り、受けた御言葉、決心で満足する事なく、今日も新しく生きた主との関係を持ちましょう。

私は「昨日十分に息子と時間を過ごしたから今日はもういい。」と思う事はありません。昨日多くの時間を過ごしても、今日もまた新しく時間を過ごしたいと願います。

それ以上に天の父なる神様は私達と日々新しく親しい関係を持ちたい切に願って下さっています。

時に息子に「パパすごい」と言われると私の心は大きな喜びで満たされます。主はどれ程に私達の賛美を喜んでおられるのだろうかと思わされます。

今日、主は私達を喜び、私達を導き、私達に語り、私達の祈りを聞き、賛美を楽しみ、私達の領域を遥かに超えた天の御国の恵みで私達を満ちたらせたいと願っておられます。

このような人生をかけて日々主と歩む、生きた捧げものこそが霊的な礼拝だと聖書は言っています。神様に今日を捧げましょう。

■A:考えてみよう

「ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。私たちの救いであられる神。」(詩篇68篇19節)

この詩篇の言葉を読み、今日私達の内にある全てを主の御前に捧げ、祈り、御言葉を聞き主と共に時間を過ごしましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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