■S:今日の聖書の言葉
マタイ19章21節
★イエスは彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」
■O:今日のコラム
神か金か。選択肢はもちろん一つです。頭ではわかっているのです。私たちが成功する時、失望する時、何に頼って、信頼して生きているか、はとても大切です。この箇所にでてくる青年は、イエス様に言われました。「もし、あなたが完全になりたいなら、、、」イエス様は究極なことを言っていますよね!!「完全になりたいなら。」
わたしは人間は完全になり得るのか?と思って生きています。しかし、マタイの5章48節では「天の父が完全なように、完全でありなさい。」と言っているので、私たちの目標はそうでなければなりません。しかし、人間とは、、、と自分を見るとき戒めの一つも守れてないともどかしさを覚えるものです。この青年はあと少しで、完全になりえたのです。しかし、青年の選択した結果は不完全の人生の道を選択しました。青年が手放せなかったものそれが「財産」でした。ある意味財産とはお金だけでなく家財や能力、子どもたちとも言えるでしょう。
青年は戒めの全部を守っているとイエス様に言いましたが、第一の戒め「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」(申命記5章7節)という心の戒めを守ることができなかったのです。神よりも何かを大事にする、手放すことができない、そのことで悩みこんでしまう。。これは偶像であります。青年は戒めの全部を守っていましたが、完全になることはありませんでした。
どのようにして完全になりえるのか。山上の垂訓にはその勧めが書かれてあります。イエス様が「完全でありなさい。」と言われる前には、自分の隣人に対してどのようにするかが語られています。イエス様が完全になるように言われる時、「隣人を愛する」ということが語られているのです。この青年の問題、実はお金を手放せなかったのではなく、イエス様が言われた「持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。」という隣人を愛する戒めを守ることを拒んだことなのです。第一の戒めと第二の戒めはいつもセットで書かれています。神を愛するというならば、隣人を自分のように愛するのです。
■A:考えてみよう
私たちは隣人を自分のように愛しているだろうか。口先や思いで留まっていないであろうか。
主を愛することとはどういうことか。心の板に戒めを刻んでくださるように、祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あはごん 】
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