■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書11章28〜30節

★すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」

■O:今日のコラム
今日の御言葉は非常に有名な御言葉で、よく伝道集会等において引用される言葉です。もちろんこの御言葉はそのままとらえても構いません。主は私達の疲れや重荷を解き、魂に真の安息を下さるお方だからです。

それと同時にここで主イエスが言われた意味は、宗教的に疲れ、重荷を負う人々への呼びかけです。当時のパリサイ人や律法学者は、自分でも負えない様な基準の宗教的な義務を人々に追わせていました。

現在でもエルサレムに住むメシアニック・ジューに話しを聞くと、エルサレムで最も霊的に重くなるのが安息日だと言います。本来は家族で共に主を礼拝し、主を楽しむ、喜びの日ですが、その日になると、黒い服を着た超正統派のユダヤ教のラビ達が、安息日を守らない人々を監視し、裁きの雰囲気が街中に溢れると言っていました。

しかし私達も宗教的な歩みに陥り「〜しなければならない。」という思いで疲れ、重荷を背負っていないでしょうか?また人々を「なぜあの人はクリスチャンなのになぜ〜しないのか?」と裁きの目で見、人をいつも評価し、重荷を人々に負わせていないでしょうか?

そんな私達に主イエスは「わたしのところにきなさい」と愛を持って呼びかけて下さっています。宗教は「自分が何をしたか」という事にフォーカスを充てさせ、信仰は「主イエスがどんなお方で、何をしてくださり、どの様に栄光に満ちたお方か」という事にフォーカスを向けさせます。主イエスに目を上げる時に私達の内に真の平安がもたらされるのです。

二頭の牛がくびきを負って荷を運ぶ時、強い方の牛が、弱い方の牛の重荷も責任を持って背負います。しかし、強い牛と共にくびきを負っている内に、徐々に弱い牛も強められ、ついには共にくびきを負う強い牛の様に変わって行くのです。

私達の信仰の価値は、どれだけ立派な宗教的な行ないをしたか?という事ではなく、どれだけ毎日、主イエスと共に歩んだか?という事において評価されます。主イエスと共に背負うくびきを通して、私達の内なる人は主イエスの似姿へと変えられ、たとえ試練や困難、嵐のような状況の真っ只中においても、魂の内に真の平安を得る事が出来ます。

■A:考えてみよう
主イエスとの愛の関係に生きる時、御言葉を読む事や祈る事、仕える事や従順する事は重荷ではなく、喜びのくびきとなります。そして、日々、主イエスと共に歩む中で、日々栄光から栄光へと主イエスの似姿へと変えられ続けていくのです。日々、主イエスと共にくびきを負い歩み続けましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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