■S:今日の聖書の言葉
1ペテロ2章23〜24節

★ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

■O:今日のコラム
エジプトの地において、過ぎ越しの小羊を屠り、家のかもいにその血が塗られる事を通してイスラエルの民が死と災いから救い出された様に、主イエスはこの同じ時、ご自身を全ての人類の罪の為のいけにえとして神に捧げ、まるで屠り場に引かれて行く小羊の様に、ののしられ、訴えられても口を開くことなく、十字架で私達の罪をその身に負い、自らの命を捧げられました。今日、この日、主イエスの十字架を心に深く覚える時としましょう。

主イエスが十字架に付かれたのは、ユダヤ人指導者達の訴えによるのでも、ポンテオ・ピラトの権力によるのでも無く、自ら進んで十字架の道を行かれたのです。今日の箇所には「そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。」と書かれています。神の御子、ユダの獅子、王の王なるお方が、ご自分の全ての権威と力を投げ捨て、私達を罪から救い出す為に、自ら十字架に架かられた。ここに驚くばかりの愛があります。

そして、その十字架は私達を罪から自由にします。この事はただの神学や概念ではなく、実際的に私達は罪の生き方から自由にされるのです。罪の根源は「自己中心」であり、自分が神となって心の王座に座る事にあります。しかし、十字架を心に受け入れる時、主人が変わり、もはや私達が自分の人生の王なのではなく、主イエスが私達の心の王座に座し主となられるのです。そのようにして生きる時、聖霊様は私達が罪を離れ、義のために生きる恵みを与えて下さいます。主イエスの十字架は私達の人生の全ての領域において癒しを与え、回復をもたらす力があります。

さらに十字架にはもう一つの目的があり、私達に使命を与えます。それは「王であり祭司」という使命です。

「また、忠実な証人、死者の中から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国(王)とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン。」(黙示録1:5〜6)

王は義を宣告し、祭司はあわれみ、とりなします。十字架の縦の棒は父なる神に義を貫き通した御子イエスの歩みであり、横の棒は、全ての人を赦し、救う為に広げられた、御子イエスのあわれみの姿です。この十字架を通してのみ、私達も、この地に神の義を宣言し、福音の剣によりこの世を勝ち取る王となり、また全ての失われた者にあわれみを抱き、この世を抱いてとりなし祈る祭司となる事が出来るのです。

■A:考えてみよう
今日、主イエスの十字架を見上げる時を持ちましょう。御言葉に記されている十字架の言葉を朗読し、また主イエスの血潮を告白して、十字架の恵みに与りましょう。また可能であるな、各家庭や置かれた場所において聖餐式を行い、主イエスの十字架による罪の赦しを覚え、神との契約に立つ時を持ちましょう。


■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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